大垣宿(読み)おおがきしゆく

日本歴史地名大系 「大垣宿」の解説

大垣宿
おおがきしゆく

[現在地名]大垣市船町・俵町・竹島町・本町・中町・魚屋町・新町伝馬町・岐阜町

大垣城下の南部から東部、美濃路の往還に沿って広がる宿場。西の垂井たるい宿(現不破郡垂井町)へ二里半六町、東の墨俣すのまた宿(現安八郡墨俣町)へ二里五〇間。当宿が立てられたのは慶長六年(一六〇一)といわれる。宿内は垂井方面のふな町から京口を通り、たわら町・竹島たけじま町・ほん町を経て名古屋口を通り、墨俣へ向かう伝馬てんま町、岐阜へ向かう岐阜町までの往還路二六町一四間となか町・しん町・魚屋うおや町・みや町の脇町町並からなる(「大垣宿問屋留書」林文書)。往還は曲折が多く(美濃路見取絵図)、道幅も三―四間と狭い。往還通りの普請は、家並分は町人の自普請とされ、他は大垣藩が行ったという。宿村大概帳によれば、竹島町に本陣、本町に脇本陣が各一あり、旅籠屋一一(中三・小八)、家数九〇三・人数五千一三六(うち男二千七一三・女二千四二三)、地子免許は二万三千七五〇坪余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大垣宿の言及

【大垣[市]】より

…岐阜県の南西部にある市。1918年市制,67年赤坂町を編入。人口14万9759(1995)。揖斐(いび)川扇状地の末端部,標高10m以下の輪中地帯の北端にある。戦国時代に築城された大垣城は戦略上重要な地点であったため争奪戦が繰り返され,関ヶ原の戦の際の籠城は《おあむ物語》に詳しい。1635年(寛永12)譜代大名戸田氏10万石が封ぜられてから幕末まで続いた城下町であり,美濃路の宿場,桑名方面に水門川の舟運が通じる物資の集散地であった。…

※「大垣宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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