大塚 敬節
オオツカ ヨシノリ
昭和期の医師,漢方医学者 北里研究所附属東洋医学総合研究所所長。
- 生年
- 明治33(1900)年2月25日
- 没年
- 昭和55(1980)年10月15日
- 出生地
- 高知県高知市
- 学歴〔年〕
- 熊本医専(現・熊本大学医学部)〔大正12年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 日本医師会最高優功賞〔昭和53年〕
- 経歴
- 高知県香美郡日章村(現・南国市)で江戸時代から4代続いた修琴堂大塚医院を継ぐ。6年間内科医を務めた後、昭和5年東京で湯本求真に漢方を学び、6年牛込船河原町に漢方専門医を開業。9年日本漢方医学会創立、18年同愛記念病院東方治療研究所設立などを主導。48年に北里研究所附属東洋医学総合研究所が設立され、初代所長に就任。漢方医学復興運動の先駆者で、日本漢方医学研究所理事長、日本東洋医学会会長なども務めた。著書に「漢方医学臨床提要」「漢方ひとすじ」などの他、「大塚敬節著作集」(全8巻・別巻1)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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大塚敬節
おおつかよしのり
(1900―1980)
医師、漢方医学研究者。漢方復興運動の指導者の一人。高知市追手筋(おうてすじ)に、医師恵迪(よしみち)、宮の二男として生まれる。1923年(大正12)熊本医学専門学校を卒業、父の業を継ぎ内科を開業。1924年松木福栄と結婚。1927年(昭和2)ごろより漢方に関心を抱き、1930年上京して湯本求真(1876―1941)に師事し、翌1931年東京市牛込(うしごめ)区に開業。1945年戦災にあい転居するが、1955年(昭和30)新宿区三栄町に移り、同所で没した。東洋医学関係の諸団体を指導したが、1973年6月、北里(きたさと)研究所附属東洋医学総合研究所設立にあたり、初代所長となる。『大塚敬節著作集』(全8巻)のほか、東洋医学、医史学関係の著書・論文が多い。
[大塚恭男]
『『大塚敬節著作集』8巻・別巻1(1980~1982・春陽堂書店)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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大塚敬節 おおつか-よしのり
1900-1980 昭和時代の漢方医学者。
明治33年2月25日生まれ。熊本医専(現熊本大医学部)卒業後,郷里の高知市で開業。昭和5年上京して湯本求真にまなび,翌年漢方医院をひらく。9年日本漢方医学会を設立,48年北里研究所付属東洋医学総合研究所を創設し,所長となる。東洋医学の研究と普及につくした。「大塚敬節著作集」がある。昭和55年10月15日死去。80歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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大塚 敬節 (おおつか よしのり)
生年月日:1900年2月25日
昭和時代の医師。漢方医;北里研究所付属東洋医学総合研究所長
1980年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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