漢方医学ともいう。〈漢方〉の語は江戸時代にオランダから伝えられた医学を蘭方と呼んだのに対して,それまでの医学の呼称としてつくられた言葉である。中国の伝統的な医学から学んで,日本で同化し,発展させた医学をさす。近年では,西洋医学に対して,東洋医学の名で呼ばれることも多い。
中国の伝統的医学は,中医学または中国医学とも呼ばれ,朝鮮や日本,ベトナム,タイにまで影響を与え,朝鮮では東医学,日本では漢方医学という伝統医学を形成した。中国医学は紀元前にすでに体系化され,3世紀ころに大成されたと考えられ,その内容は《黄帝内経》の《素問》や《霊枢》,後漢の時代に成立した《傷寒論》などの医書で知ることができる。日本には560年ころに,朝鮮を通じて伝えられた。日本の医学はその後も長く中国の影響下に置かれ,4~8世紀にインド医学の影響を受けて,中国に新しく成立した金元医学も,平安時代から室町時代にかけて伝えられた。これらの中国の医学は,移入されると,日本に同化され,独自の発展を遂げた。このようにして,漢方医学は明治の初めころまで,日本の医学を支配することとなった。
しかし,1774年(安永3)に《解体新書》が刊行されて以後,蘭方の興隆とともに,西洋医学がしだいに勢いを得るようになり,長く続いた漢方医学が,それによって圧迫を受けるようになった。さらに1883年に〈医師免許規則〉が成立し,西洋医学を修めたもののみが,医師として認められるようになって,制度上,漢方医学が葬り去られるにおよんで急速にその勢いを失うこととなった。このような当時の政策に対し,和田啓十郎(1872-1916)は《医界之鉄椎》,湯本求道(1876-1941)は《皇漢医学》を著して,漢方医学の有用性を主張するとともに,その伝統を伝えた。その後,漢方医学で行う鍼灸などの諸治療は医療類似行為とされ,一部の研究者の興味と民間の関心に支えられて今日に至っている。
東洋医学の病気と治療に対する認識は,西洋医学のそれとはまったく異なっている。病気は体内の陰陽の不和によって生じると考えられ,治療はこの不和を取り去るきっかけを与えるものとされる。病態の検知は医師の五感によってなされ,それによって検知された病状は〈証〉と呼ばれ,この証に基づいて薬方などの治療法が選択される。
身体の働きを分析的にみる西洋医学の方法に対して,それを全体的にみるという長所をもつ東洋医学に対し,1970年代以後,世界的に関心が集まり,漢方医学の見直しも行われつつある。
→医学 →漢方薬
執筆者:熊谷 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
広義には、東洋諸地域でおこり、発展した医学を総称するが、現在、日本で常識化している東洋医学の概念は、古代中国でおこり、発展し、日本に伝えられ、日本の風土のなかで発展した医学(漢方医学)の総称である。古代中国の黄河の流域でおこり、発展したのが鍼灸(しんきゅう)、手技(とくに「あんま」)療法であり、揚子江(ようすこう)流域およびそれ以南の地域でおこり、発展したのが漢方薬療法であるといわれる。こうしたことから、東洋医学は、薬物療法である漢薬と、物理療法である鍼灸、手技療法を総合した体系ということができる。なお日本で「漢方」とよばれるのは、明治の初めに西洋から入った「洋方」に対しての用語であるとともに、漢の時代に、北の鍼灸と南の漢薬治療の理論が総合され、体系化されたためとされる。
[芹澤勝助]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…初めにいったように,東洋では精神と物質,あるいは心と身体をはっきり区別する二元論の考え方はなかった。その基礎には,東洋の宗教の修行法や東洋医学の考え方がある。たとえば,禅やヨーガや道教などの瞑想(めいそう)法や修行法は,心の働きと身体の働きが一体になった〈心身一如〉の境地を理想として追求している。…
※「東洋医学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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