大山崎瓦窯跡(読み)おおやまざきがようせき

日本歴史地名大系 「大山崎瓦窯跡」の解説

大山崎瓦窯跡
おおやまざきがようせき

[現在地名]大山崎町字大山崎 永福寺

大山崎町の南西部に位置し、東に桂川かつら宇治川うじ木津きづ川の三川合流点を間近に望み、西には天王てんのう山が迫る。山と川が最接近してわずか一〇〇メートルしか平坦地がない場所に、現在もJR東海道本線・JR東海道新幹線・名神高速道路・国道一号などがひしめく、古代以来の交通の要衝である。平成一六年(二〇〇四)から一七年の発掘調査で、瓦を焼いたロストル式平窯六基、溝一条、土坑多数が確認された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「大山崎瓦窯跡」の解説

おおやまざきかわらがまあと【大山崎瓦窯跡】


京都府乙訓(おとくに)郡大山崎町大山崎にある窯跡。京都府の西南端にある水運陸運の要衝の地に位置し、平安宮の所用瓦を焼成した平安時代前期の瓦窯跡。8基の窯が確認されている。当時は平安京周辺の多数の瓦窯で大量の瓦を生産して平安宮や京の造営を支えたが、ここもそのような官営の瓦窯の一つである。瓦窯跡の北西には山崎聖天(観音寺)があり、東方や北東、南西方向に視界が開けて、長岡京跡や平安京跡、淀川、男山などが見渡せる風光明媚(めいび)な場所である。ここで造られた軒瓦(のきがわら)は、平安宮朝堂院(ちょうどういん)をはじめ、嵯峨院(さがいん)や河陽離宮(かやりきゅう)に供給されたことが確認されている。平安京に瓦を供給した瓦窯は、これまで栗栖野(くるすの)瓦窯跡、西賀茂(にしかも)瓦窯跡、吉志部(きしべ)瓦窯跡などが知られていたが、大山崎瓦窯跡と他の瓦窯跡から出土した瓦の比較により、瓦に文様をつけるための笵(はん)(鋳型(いがた))や工人の移動についても考察できる。一方、大山崎瓦窯跡独自の笵で製作した瓦も見られ、平安宮造営期の瓦生産の実態がよくわかり、他の瓦窯跡との関連から当時の生産体制の様相を知るうえでも重要なことから、2006年(平成18)に国の史跡に指定された。JR東海道本線山崎駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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