陸上(地下を含む)または湖川・港湾で行われる旅客および貨物の運送のうち、自家用でなく、営業用として行われるものをいう。
[野村 宏]
人間および貨物の陸上での運送、すなわち場所的移動は、人類の歴史とともに始められたが、原始社会、古代社会および封建社会の陸上運送は、おおむね自家生産、つまり自家用運送であり、他人の需要に応ずる営業用運送、つまり商品生産としての陸運は近代社会になって初めて開始され、そのなかで全面的に開花したのである。
古代社会の代表的な陸上運送をもつ国としてローマ帝国がある。「すべての道はローマに通ず」といわれるような道路網と、宿駅を核とする駅伝制度による軍隊、旅人および荷物の陸上運送は有名である。また、中国から内陸アジアを通りローマに至るシルク・ロードによる中国産の絹と西方の宝石、玉(ぎょく)や織物の運送も広く知られている。
しかし、経済社会における陸運の機能が決定的役割をもつようになり、かつ営業用の陸運として確立するのは、近代社会・資本主義社会になってからである。18世紀のイギリスで勃興(ぼっこう)した産業革命は、大規模大量生産方法を確立し、市場に向けて大量の商品を運送する必要に迫られた。それに対応するために、近代的道路の建設、大型荷馬車・駅馬車の運行、運河の開削など新しい運送手段の開発が相次いだ。
そして、1825年、ストックトン―ダーリントン間に世界で初めての鉄道会社が発足し、蒸気機関車による貨物列車が運転され、ついで1830年に紡績業の中心都市マンチェスターと港湾都市リバプール間にも鉄道営業が開始され、近代的陸運が発足した。これを端緒として1850年代まで鉄道熱の時代が続き、1870年代にイギリスの鉄道網がほぼ確立した。この影響はアメリカ大陸やヨーロッパ大陸にも急速に波及し、20世紀の初頭には、欧米各国でほぼ鉄道網は完成の域に達し、鉄道は世界における陸運の独占者となった。鉄道は、産業革命による技術革新の成果である蒸気機関を利用することによって誕生したものであるが、これが商品を長距離・低廉で運送することによって、逆に産業革命を促進させた。また、鉄道建設は大量の資本を必要とするため株式会社形態をとらざるをえず、イギリスの株式会社制度の発達をおおいに促進した。
19世紀の後半から20世紀にかけて、世界の資本主義経済は独占あるいは寡占段階に入ったが、これを技術的に裏づけたものが蒸気機関にかわる電気動力である。鉄道においても19世紀の後半から電気機関車や電車が運転されるようになり、速度、快適性、便宜性などの運送サービス水準の向上や運賃の低下などをもたらし、膨大な商品、大量の通勤者や旅行者を運送するようになった。しかし、この時期に自動車や航空機という新しい競争的運送手段が成長し、鉄道の陸運における独占的地位はしだいに脅かされてきた。自動車は内燃機関であるガソリンエンジンを使用することにより性能を急速に向上させた。1910年代からアメリカを中心として大量に生産された自動車は、乗用車やトラックとして旅客や貨物の運送を担当するようになった。これが第一次モータリゼーションである。このことは、ふたたび自家用運送を発展させるとともに、バス、ハイヤーなどによる営業用旅客運送およびトラックによる営業用貨物運送をも発達させた。第二次世界大戦後、第二次モータリゼーションが進行し、自家用運送を飛躍的に発展させたことにより大量的公共輸送機関である鉄道のみでなく、中ないし小量的公共輸送機関であるバス、タクシーなどをも、経営危機に陥れている。
[野村 宏]
日本においては、大化改新による国家統一以後、「蝦夷(えぞ)征伐」のための6本の運送ルートが記録に残され、それによって兵員および物資の運送が行われた。ついで律令(りつりょう)制度のもとに京師(けいし)(都)と国府とを結ぶ大中小の道路網が整備され、駅逓(えきてい)制度が設けられて、駅および伝馬(てんま)という一種の陸運組織が生まれた。江戸時代になると、幕府の所在地である江戸と全国を結ぶ主要幹線である五街道(東海道、中山道(なかせんどう)、甲州街道、日光街道、および奥州街道)が整備され、それぞれに多くの宿駅が置かれた。宿駅には、公用の旅客・貨物の継ぎ立てを行うため、人馬が用意されていた。東海道では100人100匹、中山道では50人50匹、その他では25人25匹が原則であった。また、幕藩体制下における商業流通の全国的展開は、菱垣廻船(ひがきかいせん)・樽(たる)廻船などの海上運送を発達させるとともに、陸上において江戸・京都・大坂を結ぶ三度飛脚をはじめとする各地の定期的な飛脚便なども開始させた。これらが前期的商業資本による陸運サービスの提供である。江戸・大坂など大都市の水運も発達し、また牛馬背、牛車、人力荷車による運送も行われた。
明治時代に入ると、1872年(明治5)東京―横浜間に鉄道が開通し、日本における近代的陸運が発足した。日本の場合には、イギリスのように単なる経済的理由によって鉄道が敷設されたのではなく、全国統一という政治的理由、国防という軍事的理由も非常に強かった。しかし、鉄道の発達は旅客・貨物の低運賃による高速・大量運送を可能とし、国内市場の形成を促進させ、日本における資本主義の確立を促進させた。また、鉄道がレールや車両の購入、大量の石炭の消費を通じ、近代工業や鉱山の発展を促進した。日清(にっしん)・日露の両戦争を通じ、ほぼ日本資本主義が確立した段階で、勢力を強化した軍部や中央集権を指向する政府によって、1906年(明治39)従来の官設・私設鉄道を一本化する鉄道国有法を成立させた。
1895年に京都市で最初の電車が営業を開始したが、電力利用の本格的展開は大正時代に入り第一次世界大戦を経過したあとである。このころ、国鉄では大都市近郊線の電化を進め、また私鉄の電気鉄道も、大戦後の好景気の波にのり、都市近郊で活況を呈した。しかし、一方では鉄道の独占的地位を脅かすような新しい競争相手、つまり自動車運送企業が発達し始めた。とくに大正時代の後半から昭和時代の初期にかけて、自動車運送は急激に拡大していった。その理由は、運送の面では、費用の低廉さ、運送サービス水準の高さにあり、経営の面では、小資本、低経営費用にあった。第二次世界大戦は、陸運業界の受難の時期であった。鉄道・自動車を問わず、政府の強い軍事的統制のもとに置かれ、兵員および軍需品の運送が優先され、民需は圧迫された。また、運送施設や車両はアメリカ軍の空襲によって多大の被害を受けた。
[野村 宏]
第二次世界大戦後の復興過程においては、陸運では国鉄の再建が主として行われた。それは同時に鉄道の独占的位置をふたたび許すこととなった。しかし、アメリカの占領政策によって、陸運の自由競争政策が進められ、旅客運送における自動車・航空機との競争、貨物運送におけるトラックとの競争が開始された。この競争は、独立回復後の日本経済の高度成長期にいっそう強くなり、高速道路をはじめとする道路網の整備拡充と自動車工業の発達に促進されて、鉄道運送はそのシェアを縮小し始め、それが石油危機以来の低成長期に入っていっそう進行し、危機的状態になった。近距離の旅客運送では、自家用乗用車の増加が鉄道から旅客を奪ったばかりでなく、バス、タクシーなどからもそれを奪い、陸運全体の需要が非常に停滞し、公共交通機関の危機が進行している。過疎地帯にあっては、自家用自動車化の進展が早く、鉄道地方線や過疎地域の路線バスの廃止などが続き、大都市地域にあっては慢性的な自動車交通の渋滞を発生させている。長距離の旅客運送では、航空機の発達が鉄道から旅客を奪い、鉄道のシェアを急激に縮小させている。
貨物運送では、工業における重化学工業の衰退、高度加工工業・電気電子工業の発達などにより、運送対象である商品の「軽薄短小」化が進行し、鉄道の運送容量に適さなくなった。また、流通ではジャスト・イン・タイムとよばれる、必要なものが必要な量だけ必要なときに届けられる高水準な物流システムなどの構築が進められ、鉄道の低運送サービス水準では対応できなくなり、貨物はトラックに転移していった。このようにして、貨物運送においては、陸運の中心は営業トラックに移行してしまい、鉄道は補助的役割、つまり限界供給者にすぎなくなっている。また、旅客運送においても、近距離は自動車に、長距離は航空機に依存するようになり、従来の鉄道は都市圏の通勤・通学運送、短・中距離運送に特化している。そして長距離運送では新幹線のみが活躍している。このような状況から国鉄は経営危機に陥り、1987年(昭和62)についに100年余の歴史に終止符を打ち、分割・民営化された。
日本における陸運の最大の問題は、国鉄の分割・民営化後の旅客鉄道会社3社(JR北海道、JR四国、JR九州)および貨物鉄道会社に対する経営の問題であり、また、大手私鉄、大手トラック運送企業を除く、地方自治体の公営電車・バス、大都市の公営地下鉄、地方の私鉄・バス、中小規模のタクシー・トラック企業などの経営が構造的に悪くなっていることである。しかし、これら企業体のもつ機能が公共性をもっているがゆえに、営業を維持していくことが各地域で要請されており、その解決策が容易にみいだされないことである。しかし陸運のなかには新しい時代への展望も開けている。貨物運送では、宅配便の急成長や引っ越し運送の商品化というような運送サービスの拡大などがある。旅客運送では、新交通システムとよばれる無人運転の中量近距離運送手段の実用化(1995年東京臨海新交通「ゆりかもめ」が開通)や、磁気浮上の高速運送手段の開発などがある。また、情報化の進行もみられ、車両の運行や顧客サービスに使用され始めている。
陸運の現在もっとも緊急な課題は、モータリゼーションに伴う石油系燃料の排ガスが生み出す大気汚染、たとえば窒素酸化物(NOx)、一酸化炭素(CO)等の削減である。そのためには輸送単位当り排出量の多い自家用自動車輸送から少ない営業用自家用輸送への転化、または輸送効率の高い鉄道への移行等、いわゆるモーダルシフトmodal shift(輸送方式の転換)が必要とされている。また、自動車そのものについては低公害型エンジン(たとえばエネルギー消費効率の高い電気動力)の開発などが期待されている。
日本における規制緩和deregulationは、1990年代より行われたが、アメリカの場合と同じように運輸産業が先行し、その結果、運輸業界に大きな変化が生じた。規制には経済的規制(参入退出、サービス、運賃料金)と社会的規制(消費者・労働者の保護、安全、環境等)の2種があるが、規制緩和とは前者の経済的規制の緩和である。鉄道、バス・タクシー・トラックなどの陸運諸産業に対して、参入退出規制では免許制から許可制へ、さらに一部は許可制から届出性へと緩和された。運賃料金規制も認可制から届出制へ緩和された。その結果、一方では、各産業で運賃料金の低下、サービスの向上などの成果がみられたが、他方、市場への過剰参入、経営状態の悪化、労働条件の低下、重大事故といった安全性の低下などがみられるようになった。また、過疎地など需要の少ない地域への鉄道・バス路線の廃止といった供給途絶等もみられるようになった。そこで一部には再規制reregulationが必要とする意見も出ている。
[野村 宏]
『松好貞雄・安藤良夫編『日本輸送史』(1971・日本評論社)』▽『運輸経済研究センター・近代日本輸送史研究会編『近代輸送史』(1979・成山堂書店)』▽『森泰博編著『物流史の研究――近世・近代の物流の諸断面』(1995・御茶の水書房)』▽『日本交通学会編『交通経済ハンドブック』(2011・白桃書房)』
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