大岡寺(読み)おおおかじ

日本歴史地名大系 「大岡寺」の解説

大岡寺
おおおかじ

大岡山(六六三・六メートル)の東中腹にあった高野山真言宗の寺院。昭和四二年(一九六七)大岡山南麓の山宮やまのみや庫裏を移し、同五九年に本堂(本尊)も移転。瑠璃山と号し、本尊薬師如来。なお地元ではオオカジとよび習わす。中世史料には大岳寺とも記される。

古代には大岡山そのものが信仰の対象とされて大岡神が祀られ、貞観一〇年(八六八)大岡神の神階が正六位上から従五位下に昇格されている(「三代実録」同年閏一二月二一日条)。大岡寺は、縁起によれば天平宝字元年(七五七)賢者仙人開基という。仙人は気多けた郷の住人忍海公永の子で、大岡山に籠居六〇年、ついに仙人の位を得、地主神大岡神を童女、白山明神を童男として使って法華陀羅尼を書写させたといわれる。


大岡寺
だいこうじ

[現在地名]水口町京町

古城こじよう山の南腹にある単立寺院。龍王山と号し、本尊千手観音おか観音として知られ、もと天台宗で、古城山上に位置した。寺伝によれば行基の開創といい、盛時には僧坊一六ヵ院を有したという。「百錬抄」天仁二年(一一〇九)二月二五日条に寺名がみえ、源義綱が当寺で出家したことが知られる。のち衰微し、天正(一五七三―九二)の頃には東ノ坊を残すのみとなった。天正一三年古城山に水口岡山みなくちおかやま城が築かれるにあたり、山麓地頭じがしらへ移された。正徳五年(一七一五)水口藩主加藤氏の許可を得て現在地に移り、享保元年(一七一六)堂宇建立したと伝えるが、本堂棟札には同一三年の建立とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大岡寺の言及

【甲賀三郎】より

…甲賀郡甲南町の人々は,甲賀三郎を実在の英雄と信じ,岡町塩野の諏訪社を氏神と仰いでいる。諏方系といわれる〈諏訪縁起の事〉に対して,兼家系といわれる甲賀三郎譚が,近江国甲賀郡水口町岡山のふもとにある大岡寺(だいこうじ)の観音霊験譚に組み込まれながら伝承されている。【岩崎 武夫】。…

※「大岡寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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