改訂新版 世界大百科事典 「大岡政談物」の意味・わかりやすい解説
大岡政談物 (おおおかせいだんもの)
歌舞伎,講談,人情噺,浪花節などで江戸南町奉行大岡越前守が登場する作品群をいう。大岡忠相は,享保年間(1716-36)に町奉行をつとめ,名奉行の聞こえ高かった人物。幕末から明治にかけて実録本《大岡仁政録》その他の読物から,講談,人情噺が創作され,大岡越前守にはまるで関係のない物語(たとえば天一坊事件は大岡越前守ではなく,伊奈半左衛門が審議をした)もすべて大岡越前守の裁判として,膨大な作品群を形成するに至った。そのおもなものは《天一坊》《村井長庵》《嘉川主税之助》《直助権兵衛》《後藤半四郎》《松葉屋瀬川》《小間物屋彦兵衛》《煙草屋喜八》《畦倉重四郎》《鈴川源十郎》《越後伝吉》《白子屋お熊》《雲霧仁左衛門》《津の国屋お菊》《小西屋嫁入》《三方一両損》など。このような作品の中でのその判決は〈大岡裁き〉といわれ,名判決の代名詞になった。大岡越前守の偶像化は,封建体制下の裁判の冷酷さ,過酷な刑罰に対する庶民の恐怖の裏返しであり,正義の裁きを求める庶民の願望の所産でもあろう。また,大岡政談が流行した理由は,悪質な犯罪も,最後には正義の味方があらわれて解決するという勧善懲悪思想を端的に表現していたからで,当時の人々は,安心して残虐な事件を聞いていたのである。この作品群は,ほとんどそのまま寄席から劇場へ入って,歌舞伎化された。しかし,明治時代になって膨大な作品群も漸次消滅し,現在歌舞伎劇として伝存しているものは《扇音々(おうぎびようし)大岡政談(天一坊)》《勧善懲悪覗機関(かんぜんちようあくのぞきからくり)(村井長庵)》《梅雨小袖昔八丈(髪結新三,白子屋お熊)》と,大正年間に岡本綺堂が小間物屋彦兵衛から想を得て書きおろした《権三と助十》など4,5編にすぎない。そのうちでも《髪結新三》や《権三と助十》では,大岡越前守のお裁きのくだりはカットされるか,話だけになってしまって舞台には登場しない。
執筆者:渡辺 保
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報