村井長庵
講釈,歌舞伎の登場人物。大岡政談中の人物の多くがそうであるように実話か否かは明らかでない。強悪非道な悪徳医師の代名詞的存在として知られる。実録本『大岡仁政録』によると,実弟を殺したうえその妻を友人に殺させ,娘ふたりを吉原に売ったかどで,享保2(1717)年,名奉行大岡越前守忠相の裁きを受けた。これに基づきまず講釈種となって人口に膾炙,のちに河竹黙阿弥が文久2(1862)年名優4代目市川小団次のために書き下ろし,自身生涯の会心作とした。「酷い殺しも金ゆえだ,恨みがあるなら金に言え」とうそぶくように,他の黙阿弥作品の白浪達と違い因果律や無常観と無縁な,ドライな悪漢ぶりが長庵を特異な存在にしている。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
村井長庵 むらい-ちょうあん
講談「大岡政談」の登場人物。
三河(愛知県)の貧農の生まれで,江戸で町医者となる。娘を吉原に売った帰りの義弟重兵衛を殺害して金をうばい,自分の患者である浪人に罪をなすりつけるなど,悪のかぎりをつくすが,やがて大岡裁きの前に罪を白状する。河竹黙阿弥により「勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり)」として歌舞伎化された。
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むらい‐ちょうあん【村井長庵】
江戸中期の町
医者。
三河国(愛知県)生まれ。江戸麹町に住む。弟夫婦を欺いて吉原にその娘を売り、その
代金をだましとり、かつ弟夫婦を殺し、その罪を浪人になすりつけるなど多くの
悪事をなした。享保二年(
一七一七)
刑死。講釈「大岡政談」、歌舞伎「勧善懲悪覗機関」をはじめ実録、講釈、
戯曲などに取り上げられた。
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村井長庵
(通称)
むらいちょうあん
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 勧善懲悪覗機関 など
- 初演
- 文久2.閏8(江戸・守田座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例