歌舞伎狂言。世話物。4幕11場。河竹黙阿弥作。通称《髪結新三》。別名題《曠小袖往昔(はれこそでむかし)八丈》など。1873年(明治6)6月東京中村座初演。配役は髪結新三と大岡越前守を5世尾上菊五郎,弥太五郎源七・家主長兵衛を3世中村仲蔵,手代忠七を坂東家橘,白子屋お熊を8世岩井半四郎,下剃勝奴を尾上梅五郎(のちの4世尾上松助)など。3世春錦亭柳橋の人情噺《白子屋政談》を脚本にしたもので,大詰に大岡裁きがつけてある。白子屋の娘お熊は手代の忠七と恋仲。が,家運が傾いたのでお熊は持参金つきの婿をとらされそうになる。出入りの髪結新三は忠七をそそのかしてお熊と駆落をすすめ,途中で忠七を蹴倒し,お熊だけをわが家につれこみ監禁する。忠七は面目なさに永代橋から投身しようとするところを,俠客の弥太五郎源七に救われる。白子屋から金を預かって源七は新三内にゆき,女を返す談判をするが,かえって新三にさんざん辱められて帰る。お熊は老獪な家主の掛合いで救われ,源七は新三を深川閻魔堂橋で殺し,仕返しをする。永代橋で忠七を打つ新三の傘づくしのせりふや,新三内での家主とのやりとりで,鰹の片身にかこつけて手切金を半分も巻き上げられる前後の生世話の妙味が眼目。そのほか,全体に流れる江戸情緒と季節感,市井の小悪党の描写など,明治の黙阿弥の世話狂言のなかでも,もっとも洗練された美しさに満ちている。この作から久保田万太郎が《弥太五郎源七》を書いた。
執筆者:落合 清彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
歌舞伎(かぶき)脚本。世話物。四幕。河竹黙阿弥(もくあみ)作。通称「髪結新三(かみゆいしんざ)」。1873年(明治6)5月、東京・中村座で5世尾上(おのえ)菊五郎らにより初演。当時、春錦亭柳桜(しゅんきんていりゅうおう)が得意にしていた人情噺(ばなし)『白子屋(しろこや)政談』の脚色。材木商白子屋の娘お熊は手代忠七と恋仲だったが、家のため持参金付きの婿をとることになる。出入りの髪結新三は忠七をそそのかしてお熊を連れ出させ、深川のわが家へ監禁する。永代橋で新三に突き離された忠七は面目なさに死のうとし、顔役弥太五郎源七(やたごろうげんしち)に救われる。白子屋に頼まれてお熊を取り戻しにきた源七を、新三は逆に辱しめて追い帰すが、家主(いえぬし)長兵衛の老獪(ろうかい)な掛け合いには頭があがらず、しぶしぶとお熊を返す。のち源七は閻魔堂(えんまどう)橋で新三を殺して仕返しをする。時鳥(ほととぎす)や初鰹(はつがつお)の風物を巧みに配して梅雨(つゆ)明けの季節感を写し、江戸の下町風俗を淡彩に描いた傑作。小悪党新三が「永代橋」で忠七を打ち据えるぴりっとした啖呵(たんか)や、「新三内(うち)」で初め源七をやりこめながら、長兵衛には脅かされたりすかされたりしたすえ、お熊の手切れ金を半分も上前をとられるやりとりが見どころ。新三の役は6世菊五郎が父5世の演出を洗練させて生世話(きぜわ)芸の精髄を示し、これを2世尾上松緑(しょうろく)、17世中村勘三郎が受け継いでいる。
[松井俊諭]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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