大川功(読み)オオカワイサオ

デジタル大辞泉 「大川功」の意味・読み・例文・類語

おおかわ‐いさお〔おほかはいさを〕【大川功】

[1926~2001]実業家大阪の生まれ。昭和43年(1968)、コンピューターサービス社を設立。昭和59年(1984)にはゲーム機メーカーのセガエンタープライゼス(現セガゲームス)を買収し会長就任するなど、長期にわたり日本のIT産業をリードした。

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20世紀日本人名事典 「大川功」の解説

大川 功
オオカワ イサオ

昭和・平成期の実業家 CSK名誉会長;セガ会長・社長。



生年
大正15(1926)年5月19日

没年
平成13(2001)年3月16日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
早稲田大学専門部理工科〔昭和23年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和63年〕,郵政大臣表彰〔平成3年〕,勲三等旭日中綬章〔平成8年〕

経歴
大阪・船場で3代続いた繊維問屋・大川商店の二男。肺結核で8年間闘病生活を送ったのち、実兄と会計士事務所を開設。大阪計算代行の役員を経て、昭和39年日本計算センター取締役。43年に独立して、コンピューターサービス(現・CSK)を設立、社長に就任。ソフト会社としては国内で初めて店頭公開を果たし、58年には当時の上場企業の中でCSKの株価が最高値を記録。60年東証第一部上場を果たす。コンピューター関連出版のアスキー傘下に収めるなど独特の事業展開が常に注目を集め、グループ全体で売上高1兆円を上回る大企業に育てた。“ベンチャー旗手”として孫正義・ソフトバンク社長ら後続の起業家への影響も大きかった。平成8年会長に退き、12年名誉会長。この間、昭和59年ゲーム機のセガ・エンタープライゼス(現・セガ)を系列下に加え、会長となる。家庭用ゲーム機「ドリームキャスト(DC)」を活用したインターネット事業を進め、ソニー・コンピュータエンタテインメントの「プレイステーション」に挑み、平成12年6月には社長職を兼務して陣頭に立ったが、DCは生産中止に追い込まれた。13年1月にはセガ再建のため保有株式など850億円相当の私財を同社に贈与した。日本情報通信振興協会副会長、経団連情報通信委員会委員、8〜10年ニュービジネス協議会会長。デジタル・メディア・ラボ社長、CSKベンチャーキャピタル会長、亜土電子工業社長、ネクストコム会長、社長、ベルシステム24会長なども務めた。また7年「GII(地球規模の情報基盤)ジュニアサミット」の実行委員長を務めた。12年7月食道がんで入院し、10月退院、のち病気を公表。13年1月体調を崩し再入院、3月死亡した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大川功」の解説

大川功 おおかわ-いさお

1926-2001 昭和後期-平成時代の経営者。
大正15年5月19日生まれ。公認会計士事務所勤務などをへて,昭和43年コンピューターサービス(現CSK)を設立。ソフトウエアサービスを中心に,総合情報サービス企業として急成長をとげる。59年セガ・エンタープライゼス(現セガ)に,平成9年アスキーに資本経営参加。CSK,セガの会長をつとめた。平成13年3月16日死去。74歳。大阪出身。早大専門部卒。

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367日誕生日大事典 「大川功」の解説

大川 功 (おおかわ いさお)

生年月日:1926年5月19日
昭和時代;平成時代の実業家。コンピューターサービス(現CSK)社長
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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