大日山古墳群(読み)だいにちやまこふんぐん

日本歴史地名大系 「大日山古墳群」の解説

大日山古墳群
だいにちやまこふんぐん

[現在地名]大津市田上黒津町

大戸だいど川が瀬田せた川に合流する地点の北側に位置する大日山の山頂付近に営まれた古墳群。昭和五二年(一九七七)・五三年の古墳測量調査により山頂から東南側斜面にかけて一六基の古墳を確認、うち一〇基余が方墳という特異な群構成が明らかになった。なかに葺石をもつ古墳の存在や朝顔形埴輪片の採集も報告されている。同五七年に古墳群内の円墳(直径約一五メートル)一基を発掘調査墳丘中央に組合せ式木棺を直葬した三基の主体部が造られ、鉄刀二・鉄剣一・鉄鏃・鹿角製刀子などが副葬されていた。さらに墳丘盛土内から六世紀初頭頃の須恵器坏身・坏蓋・などが発見されている。一六基の古墳は、墳丘がきわめて低いものや、高い墳丘をもっていても巨大な石材が露出したり、付近に散乱していないことなどから、横穴式石室を内部主体にもつ古墳ではなく、これを採用する直前の時期、すなわち六世紀初頭頃を中心としたその前後の時期に営まれた古墳群だと考えられている。

大日山古墳群
だいにちやまこふんぐん

[現在地名]和歌山市井辺

岩橋前山いわせまえやま古墳群と連続する岩橋山塊の西端に位置し、北に位置する大谷山おおたにやま古墳群とは標高九〇メートルの鞍部をもってつながる。当古墳群の西の平野には弥生時代の神前こうざき遺跡井辺岡崎いんべおかざき遺跡があり、また古墳時代の大日山I遺跡がある。当古墳群は二基の前方後円墳と五〇基余の円墳で構成される。

一号墳は標高一二〇メートルの頂上にある前方後円墳で、全長三二メートル、後円部径二五メートル、前方部長さ七メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報