日本歴史地名大系 「岩橋千塚」の解説
岩橋千塚
いわせせんづか
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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和歌山市岩橋にある5世紀初頭から7世紀末までの約600基の大古墳群。紀ノ川南岸の岩橋山塊にあり、花山(はなやま)、大谷山(おおたにやま)、岩橋前山、井辺(いんべ)前山の丘陵順に盟主的な前方後円墳の築造の分布が移る。岩橋千塚はその総称である。古墳群の初期となる花山8号墳は粘土槨(ねんどかく)であったが、6世紀以後、大谷山22号墳のように前方後円墳の造り出しに形象埴輪(はにわ)を樹立させ、いち早く緑色片岩による棚、梁(はり)付きの横穴式石室を築く。副葬品も垂下式耳飾などの装身具、装飾付き須恵器(すえき)など朝鮮半島文化の影響を強く受けている。6世紀中ごろになると、岩橋前山の尾根筋に将軍塚古墳、郡長塚古墳、天王塚古墳が並び、天王塚古墳玄室は棚と8本の梁によって天井の高さ5.9メートルまで奥壁を垂直に積み上げる。金銅製冠断片、装飾付き須恵器など古墳群の最盛期を迎える。6世紀末から7世紀にかけて古墳数は減少し、井辺1号墳のように、前方後円墳にかわって大型の方墳が築かれる。被葬者を紀伊国造(きいのくにのみやつこ)家とする説がある。明治年間以来、3期の調査によって主要部分の概要が明らかとなった。その後、古墳群は「紀伊風土記(ふどき)の丘」として整備されている。1931年(昭和6)国の史跡に指定、52年に特別史跡に指定された。
[猪熊兼勝]
『末永雅雄他著『岩橋千塚』(1967・和歌山市教育委員会)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…なかでも大阪府には八尾市郡川(こおりかわ)千塚,柏原市平尾山千塚,堺市陶器山(とうきやま)千塚,和泉市信太(しのだ)千塚などがあるが,年代の接近した数十基の古墳を呼ぶ場合が多く,近年に考古学者が命名したことの明らかなものもある。和歌山県岩橋(いわせ)千塚,奈良県新沢(しんざわ)千塚は,古墳数が数百基に達し,営造年代も4世紀後葉から6~7世紀におよぶ点で重要である。
【岩橋千塚】
和歌山市東部の丘陵地帯に分布する古墳群の総称。…
※「岩橋千塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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