岩橋前山古墳群(読み)いわせまえやまこふんぐん

日本歴史地名大系 「岩橋前山古墳群」の解説

岩橋前山古墳群
いわせまえやまこふんぐん

[現在地名]和歌山市岩橋

日前国懸ひのくまくにかかす神宮の東方約二キロにある岩橋山塊に位置する古墳群。付近一帯にある古墳群を岩橋千塚いわせせんづかと総称するが、そのなかに含まれ、その中心的な位置を占める。三基の前方後円墳と三四〇余基の円墳からなり、東には和佐わさ古墳群、西には大谷山おおたにやま古墳群・大日山だいにちやま古墳群・井辺いんべ古墳群などがある。標高平均一三〇メートルの頂からは、和泉山脈紀ノ川とその沖積平野を望み、周辺の平地には太田黒田おおだくろだ遺跡花山はなやま古墳群のある花山の北裾には四世紀から六世紀にかけての集落跡があり、日前国懸神宮と深くかかわる宮井みやい用水が沖積平野を横断する。古墳はほとんどが盗掘されているが、大正七年(一九一八)から一〇年にかけて、保存を旨とした既掘古墳の調査が行われた。

当古墳群はこの大正時代の調査範囲、つまり古墳群東部分の前山A地区、それ以外の前山B地区に分けられる。東西に走る尾根上には、東から前山A七号墳など八基の円墳、この群より西一五〇メートルの尾根にA一号墳など五基の円墳群、その西一〇〇メートルにB一号墳などの円墳群、さらに西に順にB五三号墳(将軍塚)・B六七号墳(知事塚)・B一一二号墳(郡長塚)の三基の前方後円墳が築かれ、B一一二号墳の西一〇〇メートルにB一三〇号墳などの円墳群がある。このA・B両地区が岩橋千塚古墳群として国の特別史跡となっている。

〔A地区〕

A一号墳など五基は標高一五〇メートルの頂上にあり、二メートル平方の横穴式石室主体とする。この群から北斜面の支脈は約一〇〇メートル北、標高一一〇メートルの地点まで古墳は稀有で、空間地帯である。この地点にはA六七号墳・A六五号墳がある。支脈はさらに三方に分れ、東の支脈にはA四六号墳などの一七基、中央の支脈にはA一七号墳・一三号墳・二三号墳・二四号墳など三二基の円墳、西の支脈にはA九九号墳・一〇〇号墳・一一一号墳など四一基がある。

A六七号墳は円墳としては大型のもので、石室全長七メートル、玄室の長さ三・九メートル、幅二・二五メートル、高さ三・三メートルで、棚と二本の梁をもつ。棚の下には板石で石槨を組み、棺台を設けている。A六五号墳は径二〇メートルほどで、二基の竪穴式石室が東西に並列しており、両者ともに長さ三・四メートル、幅〇・九メートル、高さ〇・七メートルほどで、東田中ひがしたなか東国山とうごくやま一号墳・二号墳と同規模である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報