おおむら‐せいがい【大村西崖】
- 東洋美術史家。静岡県に生まれ、東京美術学校教授。著書「密教発達志」により、帝国学士院恩賜賞を受ける。明治元~昭和二年(一八六八‐一九二七)
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大村 西崖
オオムラ セイガイ
明治・大正期の東洋美術史家 東京美術学校教授。
- 生年
- 明治1年10月12日(1868年)
- 没年
- 昭和2(1927)年3月8日
- 出生地
- 静岡県富士郡岩淵町
- 本名
- 塩沢 峰吉
- 別名
- 別号=無記菴
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校彫刻科〔明治26年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 帝国学士院賞〔大正7年〕
- 経歴
- 教職、雑誌記者などをつとめ、明治29年東京美術学校助教授となり、38年教授。美術史家として幅広く活躍し、審美書院編集長、帝室博物館鑑査部彫刻科主任、古社寺保存計画調査院なども兼ね、大正7年「密教発達志」(全5巻)を刊行して帝国学士院賞を受賞。「東京美術大観」「支那美術史彫塑篇」などの著書がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
大村西崖 (おおむらせいがい)
生没年:1868-1927(明治1-昭和2)
東洋美術史家。静岡県に生まれる。1893年東京美術学校彫刻科を卒業。1902年母校の教授となり,東洋美術史を講ずる。06年審美書院の設立に加わり,《東洋美術大観》15冊,《真美大観》《東瀛(とうえい)珠光》《支那美術史彫塑編》など,中国美術史の図録,研究書を刊行・執筆して,中国美術史研究に大きな足跡を残した。後年の《密教発達志》は帝国学士院賞を受賞。また,晩年,フェノロサ,岡倉天心が排撃した文人画の復興を主張して,白井雨山らと又玄社を結成した。
執筆者:佐々木 静一
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大村西崖 おおむら-せいがい
1868-1927 明治-大正時代の美術史家。
明治元年10月12日生まれ。35年母校東京美術学校(現東京芸大)の教授となり東洋美術史をおしえる。大正9年「密教発達志」により学士院賞。昭和2年3月8日死去。60歳。駿河(するが)(静岡県)出身。本名は塩沢峯吉。別号に無記庵。著作はほかに「東洋美術大観」「支那美術史彫塑篇」など。
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大村西崖
おおむらせいがい
(1868―1927)
東洋美術史家。静岡県に生まれる。1893年(明治26)東京美術学校彫刻科を卒業。東洋美術史専攻に転じ、96年母校の教授となる。また、田島志一(しいち)とともに審美書院を設立し、『東洋美術大観』『真美大観』などの図録類の出版に努めた。『密教発達志』により帝国学士院賞を受賞し、明治・大正を通じて日本の美術史学の開拓者として活躍した。
[村重 寧]
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大村西崖【おおむらせいがい】
美術史家。静岡県生れ。本名塩沢峯吉。東京美術学校彫刻科卒業後,東洋美術史専攻に転じ,母校の教授となる。審美書院を設立し《東洋美術大観》《真美大観》等の図録類を出版。主著《密教発達志》《東洋美術史》。
→関連項目岩村透
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大村 西崖 (おおむら せいがい)
生年月日:1868年10月12日
明治時代;大正時代の美術史家。東京美術学校教授
1927年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報