大枝山関(読み)おおえやまのせき

改訂新版 世界大百科事典 「大枝山関」の意味・わかりやすい解説

大枝(江)山関 (おおえやまのせき)

山城国乙訓郡(現,京都市西京区大枝)の関所。古代の山陰道は都と丹波以西8ヵ国の国府を結ぶが,奈良・平安の両時代とも,山城・丹波国境の大枝山(現,老ノ坂峠)を越えて丹波国に入った。平安京の時代には大枝山は,逢坂・竜華・山崎・宇治・淀などと並ぶ交通の要衝で,山城国五道,山城国四堺の一つと呼ばれ,山の手前に関所が設けられた。承和の変,保元の乱など京都に変事が起こったとき,あるいは大索(おおあなぐり)(捜盗)の儀式を行うときなど,検非違使,六衛府の武官,都の武者らが派遣されてこれを固めた。その後,商業・交易が盛んになるにつれ,大枝山関でも関銭の徴収が行われるようになり,1423年(応永30)には室町幕府が同関を通過する諸物資にかける関銭の額を定めている。当時,関を管理したのは嵯峨野天竜寺。その後,戦国期に入っても大江山口関のことが文書に見えている。現在,関所跡の地に石碑が立つ。
大江山 →酒呑童子
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百科事典マイペディア 「大枝山関」の意味・わかりやすい解説

大枝山関(大江山関)【おおえやまのせき】

山陰道が山城から丹波へ抜ける老(おい)ノ坂(現京都市西京区)の峠手前に設けられていた関所。天竜寺所管の荘園年貢運送にかかる人夫(兵士粮物調達のため設置された関所で,応永年間(1394年−1428年)の史料にみえ,1423年幕府は当関の関料規定を定めている。これによって天竜寺は相当の収益をあげていたと推測されるが,以後いつまで関の機能が続いたかは不明。
→関連項目老ノ坂

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