20世紀日本人名事典 「大石誠之助」の解説
大石 誠之助
オオイシ セイノスケ
- 生年
- 慶応3年11月4日(1867年)
- 没年
- 明治44(1911)年1月24日
- 出生地
- 紀伊国新宮(和歌山県新宮市)
- 別名
- 号=禄亭永升,禄亭,無門庵
- 学歴〔年〕
- 同志社中退,オレゴン州立大学医学部〔明治28年〕卒
- 経歴
- 明治23年渡米、28年オレゴン州立大学医学部を卒業、ドクトルの学位を得て帰国、29年郷里新宮で医院を開業。31年シンガポールに渡り伝染病研究に従事。32年ボンベイ大学で医学を研究、34年帰国。このころから社会主義に関心を持ち「牟婁新報」「平民新聞」などに論説を書き、社会主義運動に参加。39年上京し幸徳秋水や堺利彦、森近軍平、片山潜らと交わり、41年幸徳、管野すがらを診察した。大石は爆裂弾の原料である塩素酸カリを宮下太吉に送った、などの理由で43年6月大逆事件に連座、起訴され、翌年1月死刑の判決を受け、処刑された。また都々逸や狂歌もよくし、鶯亭金升から禄亭永升の号を受け情歌作者としても活躍した。「大石誠之助全集」(弘隆社)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報