大祖国戦争(読み)だいそこくせんそう(英語表記)Velikaya otechestvennaya voina Sovetskogo Soyuza

改訂新版 世界大百科事典 「大祖国戦争」の意味・わかりやすい解説

大祖国戦争 (だいそこくせんそう)
Velikaya otechestvennaya voina Sovetskogo Soyuza

1941-45年のソ連邦ドイツおよびその同盟国との戦争に与えられたソ連側の呼称第2次世界大戦の一部を構成するもので,1941年6月22日,ドイツ側の奇襲攻撃に始まり,45年5月8日,ベルリン近郊カールスホルストにおけるドイツ軍の無条件降伏文書の調印をもって終わった。ソ連側では3期に区分しており,第1期(1941年6月~42年11月)は防衛戦闘から戦線膠着(こうちやく)化まで,第2期(1942年11月~43年12月)はスターリングラード(現,ボルゴグラード)における反撃から総反攻への移行まで,第3期(1944年1月~45年5月)はウクライナ解放からベルリン陥落までとしている。ソ連が勝利のために支払った代償はあまりにも大きく,2000万人の人命を失い,富の1/3が灰燼かいじん)に帰した。なおこの名称は,1812年6月~12月,ナポレオンモスクワ遠征を撃退した戦争が同じく祖国戦争と呼ばれていたことにちなんだものである。
第2次世界大戦
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「大祖国戦争」の解説

大祖国戦争(だいそこくせんそう)

1941年6月22日のドイツ軍の侵入から,45年5月8日の対独戦勝までのソ連のドイツとの戦争をさす。45年8月の日本との戦争を加える見方もある。1812年のナポレオンロシア侵入が祖国戦争と呼ばれるのにあわせて,ソ連時代に生まれた言葉

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大祖国戦争」の意味・わかりやすい解説

大祖国戦争
だいそこくせんそう
Velikaya Otechestvennaya voina

第2次世界大戦に対するソ連での呼称。ロシアの対ナポレオン戦争を祖国戦争と呼んだことにちなみ,スターリンが愛国意識を呼びさますためにこのように呼んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大祖国戦争」の意味・わかりやすい解説

大祖国戦争
だいそこくせんそう

独ソ戦争

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世界大百科事典(旧版)内の大祖国戦争の言及

【ソビエト連邦】より

…東ヨーロッパを解放して,ドイツ領内に入ったソ連軍は45年4月ベルリンに入城し,5月2日ドイツ軍は降伏した。 〈大祖国戦争〉と呼ばれるこの戦争で,戦闘員・非戦闘員あわせて2700万人がソ連の人口から失われた。国土の荒廃は言語を絶するものがあった。…

※「大祖国戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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