改訂新版 世界大百科事典 「大神杜女」の意味・わかりやすい解説 大神杜女 (おおみわのもりめ) 奈良時代の豊前国宇佐八幡宮の祝部,禰宜。生没年不詳。毛理女とも書く。東大寺大仏建立に多量の銅と金が必要であった際,八幡神が援助すると託宣をした。杜女は託宣した巫女と推定される。748年(天平20)8月外従五位下に叙し,翌年(天平勝宝1)11月主神司の大神田麻呂とともに大神朝臣姓を賜り,12月,神を奉じて上京,東大寺を礼した。その輿は天皇の乗輿と同じ紫色で,従四位下を授けられた。754年薬師寺僧行信の厭魅(呪詛)に坐し,朝臣姓をとりあげられ本姓に従い,日向に流されたが,766年(天平神護2)に本位に復した。執筆者:横田 健一 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「大神杜女」の解説 大神杜女 生年:生没年不詳 毛理女とも書く。奈良時代の豊前国宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の巫女。はじめは八幡神の祝部であったがのち禰宜に昇格。聖武天皇の東大寺大仏建立事業に際し積極的に協力しようという八幡神の託宣などによって,天平20(748)年に外従五位下に叙せられ,翌天平勝宝1(749)年11月には同族で宇佐八幡宮の主神司の大神田麻呂と共に朝臣姓を与えられる。さらに八幡神は大仏の鎮守神になるという託宣により宇佐から上京,平城宮南に新造の神宮に迎えられた。同年12月に大仏を拝したときの杜女は禰宜尼,つまり尼スタイルの巫女といういでたちで,しかも孝謙女帝と同じ紫輿に乗って現れた。このとき従四位下に昇叙。しかし同6年11月,薬師寺僧行信らの厭魅呪詛事件に連座して除名され,八幡宮の禰宜職も解任,日向国(宮崎県)に流された。 (菅原征子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大神杜女」の解説 大神杜女 おおがの-もりめ ?-? 奈良時代の神職。豊前(ぶぜん)宇佐八幡宮(大分県)の禰宜尼。「続日本紀」によると天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年(749)大神田麻呂とともに朝臣の姓(かばね)をあたえられ,宇佐八幡神の託宣どおり東大寺大仏が完成したとして従四位下をさずけられる。6年田麻呂,薬師寺の僧行信と妖術をおこなったとして日向(ひゅうが)に流された。名は毛理売ともかく。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by