大竹伸朗(読み)おおたけしんろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大竹伸朗」の意味・わかりやすい解説

大竹伸朗
おおたけしんろう
(1955― )

洋画家、音楽家。東京都生まれ。若いころより美術に強い関心を抱く。1974年(昭和49)、武蔵野美術大学造形学部油絵学科に入学するがすぐに休学、北海道別海(べつかい)町で約1年間酪農に従事した後で渡英、デビッド・ホックニーやラッセル・ミルズRussel Mills(1952― )らと親交を結び、強い影響を受ける。1980年大学卒業後に再度渡英。帰国後1982年に東京のギャルリー・ワタリ(現、ワタリウム美術館)で初個展を開催し、また1985年にはロンドンの現代芸術研究所(ICA:Institute of Contemporary Arts)でも個展を開催、現代美術の狭い枠を逸脱したポップな作風は、若くして広く注目を集めることになった。一方で、1979年にはロックバンド「JUKE/19」を結成、シングルレコード1枚とアルバム4枚をリリースし、また翌1980年にはロンドンの若手アーティスト・グループDOMEに参加、パフォーマンス「クルバ・カポル」を行う。また1986年にはミルズとサウンドユニット「パズル・パンクス」を結成するなど、学生時代から絶えず美術と並行して行ってきたパンク・ロック中心の音楽活動とも作風は強く共振している。

 1988年以降は愛媛県宇和島市を拠点として制作活動を行っているが、ロンドン、香港(ホンコン)、モロッコなどをさまよった経験をもつ大竹は豊富な国際体験に反して日本というモチーフへの関心を強め、現代日本の奇怪な風景を鮮やかな彩色で描いた絵画作品『ジャパノラマ(日本景)』(1995~1996)に結実させた。その後「大竹伸朗/網膜」(1993、ギャルリー・ところ、東京)、「大竹伸朗:Printing/Painting」(1997、CCGA現代グラフィックアートセンター、福島県須賀川)、「新津――あいまいで私が日本」(1998、新津市美術館、新潟県)、「大竹伸朗展 ZYAPANORAMA」(1999、パルコギャラリー、東京)、「大竹伸朗展」(2000、ベイスギャラリー、東京)などの個展や「アウト・オブ・バウンズ:海景の中の現代美術展」(1994、直島(なおしま)コンテンポラリーアートミュージアム、香川県)、「日本ゼロ年展」(1994、水戸芸術館)などのグループ展でその強烈な個性を示した。

 コレクションを所有している美術館としては、世田谷美術館、原美術館(以上、東京)、MoMA(ニューヨーク近代美術館)などがある。

 なお絵画、版画、コラージュ、インスタレーション、音楽など各ジャンルに及ぶ大竹の幅広い活動のなかで、特筆すべきはアーティスト・ブック(アーティストが挿画だけを担当するのではなく、用紙、書体、レイアウト、装丁を含めアートとして制作する本)への強い関心である。『LTD/Psychedelic Magazine』(1981)を皮切りに刊行されたアーティスト・ブックは30冊を超えた。スクラップブックなども多数制作しており、これらのアーティスト・ブックは、スロバキアのブラチスラバ世界絵本原画コンクール金牌(1995)や第35回造本装丁コンクール日本書籍出版協会理事長賞(1998)を受賞するなど、美術作品としても高く評価されている。東京都現代美術館で開催された「全景展」(2006)は、それまでの集大成ともよぶべき大規模な回顧展であった。

[暮沢剛巳]

『『LTD/Psychedelic Magazine』(1981・東京オペレーション・センター)』『『DREAMS』(1988・用美社)』『『Works of Shinro Otake 1955~1991』(1991・宇和島現代美術)』『『カスバの男』(1994・求龍堂)』『「特集大竹伸朗の本」(『美術手帖』2002年5月号・美術出版社)』『「大竹伸朗」(カタログ。2000・ベイスギャラリー)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例