アラビア語で国または都市の域内をカサバといい,そこから軍隊の駐留する城砦や城砦をもつ一地方の中心都市をさすようになった。マグレブ諸国ではカスバと発音し,次のような三つの意味で用いられる。第1は,ラバト,チュニスのように,城壁で囲まれていた都市の一画で,とくに城砦の部分を呼ぶ場合,第2は,地方の小さな砦や地方官の邸またはそれらのある町全体をさす場合(とくにモロッコ),第3に,アルジェのように植民地化以降広がった新市街に対して,アルジェリア人のみが居住する旧市街をさす場合,である。アルジェでも本来は旧市街にある城砦をカスバと呼んでいたが,ヨーロッパ人が誤用して旧市街全体をさすようになったものである。
現在では都市の城壁は大半が取りこわされたが,城砦の部分や旧市街はかなり保存されており,チュニスでは官庁街,ラバトやアルジェでは半ばスラム化した住宅街になっている。アルジェのカスバは,映画《望郷》に示されたように,ヨーロッパ人の目からみると犯罪者の巣窟であり,また異国趣味を満足させる観光の対象である。だがアルジェリア人にとっては映画《アルジェの戦い》に示されたように民族運動の拠点になった町であり,またイスラム都市の原型が残された心のふるさとである。スラム化した現状に対して再開発の計画があるが,このような両義的価値をもつ町であるだけに,開発と保存をいかに調和させるかが大きな問題になっている。
執筆者:宮治 一雄
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アラビア語で城塞(じょうさい)のこと。とくに北アフリカやスペインに残る、中世および近世につくられた太守、首長の城塞をいう。一般に小高い丘陵や段丘上に位置することが多い。城壁に囲まれ支配者の居館や兵営などがあり、その歴史的建築美から、モロッコのラバトにあるウダイヤ・カスバやフェズのカスバのように観光地になっている所が多い。広義には城塞だけでなく、周辺にある城壁に囲まれた市街地、すなわち城郭都市全体をいう場合がある。アルジェやチュニスのカスバはその例である。19世紀以後の植民地時代、北アフリカの諸都市では城郭都市の周辺に新しくヨーロッパ風市街地がつくられた。密集したアラブ風市街地区と広い街路をもつヨーロッパ風市街地区との対照から、城館の有無にかかわらずアラブ風市街地区を含めた旧城郭都市全体を、ヨーロッパ人はカスバとよぶようになったと考えられる。アラブ人はアラブ風市街地区をカスバと区別してメディナMedina(アラビア語で町、市街地の意)とよぶ。
アルジェのカスバは映画『望郷(ペペルモコ)』や『アルジェの戦い』の舞台となり、よく知られている。城塞、城壁はほとんど残存せず、旧港の上方斜面に中庭をもつ白い四角な家屋が重なり合うように密集している一角がカスバである。けっして暗黒街ではなく、トンネルのような迷路状の街路を歩けば古いアラブの温かい雰囲気が感じられる。テラスからの青い地中海の眺望はすばらしい。老朽化が進み、修復と上下水道の整備が行われている。
[藤井宏志]
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…(5)宮殿(カスルqaṣr,サライsarāy) 中央に池や噴水などを設けた中庭の周囲に公私の居室を配置したものを基本的単位として,これを多様に組み合わせた例が多い。(6)城砦(カサバqaṣaba,カルアqal‘a) 初期のタイプは,古代ローマの辺境の砦の形式を踏襲している。一般に,強固な塔で補強した城壁や堀を周囲に巡らせ,城門の両側に塔を設けてはね出し狭間(はざま)(マチコレーション)などを設けた。…
…7世紀以後,大征服によってオリエント世界を統一したイスラム教徒は,これら古代都市の遺産を継承して独自の都市文明を築き上げてゆく。
[イスラム都市の形成]
中世アラブの地理学者は,一地方の中心都市をカサバqaṣaba,それ以外の中小都市をマディーナmad‐īnaと定義する。しかし一般には規模の大小にかかわりなく,むらに対して経済・文化のかなめとなる都市を,アラブ世界ではマディーナあるいはミスルmiṣrといい,イランやトルコではシャフルshahrと呼ぶ。…
…モスクは住居群のなかに埋もれているが,ミナレットと呼ぶ塔により存在が知られる。メディナの一隅に防衛の拠点となるカスバがある。アトラス山脈の峡谷には日乾煉瓦造で,四隅に塔状の物見をもつみごとな造形のカスバが見られる。…
※「カスバ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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