大里用水(読み)おおさとようすい

日本歴史地名大系 「大里用水」の解説

大里用水
おおさとようすい

熊谷市と大里郡江南こうなん町・大里村などにまたがる荒川の沖積扇状地上の水田を灌漑する六つの用水の総称で、六堰ろくぜき用水・荒川六堰ともいう。六堰とは、荒川左岸の奈良なら堰・玉井たまのい堰・大麻生おおあそう堰・成田なりた堰の四用水と、右岸の御正みしよう堰・吉見よしみ(かつての万吉堰)の二用水である。近世初頭に開削された用水で、「風土記稿」幡羅はら郡の項によると、玉井堰は「大里郡川原明戸村ニテ荒川ヲ分水シ、大里郡二村・埼玉郡三村、本郡ノ内四村ノ用水トス、玉井村ニテ預ルヲ以テ玉井堰ノ名アリ、此用水ハ慶長七年ニ初テ掘リ」、奈良堰は「慶長七年ノ堀割ナリ」とあり、慶長七年(一六〇二)代官頭伊奈忠次が新扇状地上の水田の用水源を荒川に求め、扇頂部に近い川原明戸かわらあけと(現熊谷市)地先に石堰を設置して取水し、荒川の旧河道を利用して導水したとされる。他の四堰については同書に記述がないが、「新編埼玉県史」は大麻生堰・御正堰・万吉まげち堰も同年に開削され、成田堰は元和元年(一六一五)下流の大里郡広瀬ひろせ(現同上)に開削されたとする。寛文一二年(一六七二)には川原明戸村の堰が川欠けとなったため、上流の榛沢はんざわ菅沼すがぬま(現川本町)移設、同所を分水圦とする一方、万吉堰は広瀬村に移設され吉見堰となった(同書)

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改訂新版 世界大百科事典 「大里用水」の意味・わかりやすい解説

大里用水 (おおさとようすい)

埼玉県北西部,荒川水系最大の用水路。別名を六堰(ろくせき)用水というが,それは荒川岸の上下に,慶長年間(1596-1615)までに造られていた奈良堰,玉井堰,大麻生(おおあそう)堰,成田堰,御正(みしよう)堰,吉見堰の6用水のそれぞれの頭首工を1929-39年に合口したためである。取水地点は荒川北岸,大里郡花園村(現,深谷市)永田地先で,六堰のうち御正堰および吉見堰の両用水は,同郡川本村(現,同市)明戸で荒川河床をサイフォンでくぐって,対岸大里村(現,熊谷市)方面に導かれている。その後も改修が加えられた結果,93年の灌漑面積は4378haである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大里用水」の意味・わかりやすい解説

大里用水
おおさとようすい

埼玉県北部にあり、荒川から取水する農業用水路。六堰用水(ろくせきようすい)ともいう。旧川本町と旧花園(はなぞの)町(ともに現、深谷市(ふかやし))との間の六堰で取水し、左岸、右岸にわたって灌漑(かんがい)する荒川筋最大の用水路である。六堰の名は、17世紀初期(慶長(けいちょう)年間)につくられた奈良(なら)、玉井(たまい)、大麻生(おおあそう)、成田(なりた)、御正(みしょう)、吉見(よしみ)の六つの堰による。1929年(昭和4)より用水組織の改修を図るため、六堰を一つにまとめる合口工事が行われ、1939年に完成。近年、上流の二瀬(ふたせ)、玉淀(たまよど)両ダムからの引水で流量を増加した。

[中山正民]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大里用水」の意味・わかりやすい解説

大里用水
おおさとようすい

荒川水系中最大の灌漑用水。六堰用水 (ろくせきようすい) とも呼ばれる。埼玉県深谷市の永田で取水される。 1939年周辺の六つの堰をまとめた頭首工が完成した。灌漑面積約 35km2。ダムは円筒形の堰の上下によって水量調整を行なうローリングダムで,魚梯 (→魚道 ) も設けられている。

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