日本歴史地名大系 「大野城跡」の解説
大野城跡
おおのじようあと
「日本書紀」天智天皇四年(六六五)八月条に「達率答春初を遣して、城を長門国に築かしむ。達率憶礼福留・達率四比福夫を筑紫国に遣して、大野及び椽、二城を築かしむ」とあって、長門国の城(名称不明)、
大野城跡
おおのじようあと
大野城跡
おおのじようあと
大野城跡
おおのじようあと
大野城跡
おおのじようあと
大野城跡
おおのじようあと
連歌師宗牧は天文一三年(一五四四)当地方を訪れ、「まづ城のあたり見廻して侍るに、段々坂々の石畳、塵をも据えず、なかばの程にさざ波よする計の出水見えたり。
大野城跡
おおのじようあと
戦国期にみえる城の跡。天正一〇年(一五八二)島原城主が龍造寺氏に呼応して有馬晴信に背くと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報