日本歴史地名大系 「大門峠」の解説 大門峠だいもんとうげ 長野県:小県郡長門町大門村大門峠小県郡長門町と茅野(ちの)市の境、車(くるま)山東側の鞍部を通る峠。標高一四四三メートル。諏訪の山浦(やまうら)地方より雨境(あまざかい)峠(蓼科(たてしな)山麓の北西)に通じていた古代東山道から分れ、小県郡にあった信濃国府へ通ずる道は、この大門峠を越えたものであろう。峠を下ること一里半葭(よもぎ)ヶ沢(さわ)の仏岩(ほとけいわ)に応長元年(一三一一)の銘を刻した石造宝篋印塔(県宝)がある。「大塔物語」に応永七年(一四〇〇)常葉入道の妻が善光寺参詣のため、伊那から諏訪を経て、有坂(ありさか)(現長門町)で泊ったと記されているが、大門峠を越えての旅であったろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「大門峠」の意味・わかりやすい解説 大門峠だいもんとうげ 長野県中部、茅野市(ちのし)、立科町(たてしなまち)、長和町(ながわまち)の境界にある峠。標高1441メートル。上田盆地と諏訪盆地(すわぼんち)の分水界をなし、蓼科山(たてしなやま)の北西麓(ろく)にある。古代、諏訪から浅間山麓へ通じる東山道(とうさんどう)から分かれて上田の国府へ通じた道の峠と考えられ、現在は国道152号が南北に越えている。戦国末期には甲斐(かい)(山梨県)の武田氏はしばしばこの峠を越えて上田方面へ進攻した。峠からは眼下に白樺(しらかば)湖を、東方に蓼科山を望む。[小林寛義] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by