日本歴史地名大系 「天万郷」の解説 天万郷てまごう 鳥取県:西伯郡会見町天万村天万郷古代の会見郡天万郷(和名抄)を継承する中世郷で、富田(とみた)庄のうち。天満とも記し、現天万(てんまん)を遺称地として一帯に比定される。建武三年(一三三六)正月二日の足利尊氏下文案(小早川家文書)に「富田庄内天万郷」とみえ、当郷一分地頭職および安芸国沼田(ぬた)庄船木(ふなき)郷(現広島県本郷町)地頭職が小早川道円(貞茂)に還補されている。観応元年(一三五〇)八月一七日の足利直義のものとみられる御教書写(同文書)によれば、道円の訴えに基づき、伯耆守護山名時氏は当郷に対する夫伝馬の催促、兵糧米の譴責などの乱妨狼藉を停止するよう命じられている。 天万郷てまごう 鳥取県:伯耆国会見郡天万郷「和名抄」諸本とも訓を欠く。遺称地である現会見町天万(てんまん)は近世には「手間」「天満」などとも記されるが、よみはいずれも「てま」であった。「てま」というのは少彦名命のこととされ、現在も天万の天万(てんまん)神社の祭神に少彦名命が祀られている。「古事記」大国主神段に八十神が大穴牟遅(大国主)神を殺害しようとした「伯伎国の手間の山本」は、現天万の南西、会見町と西伯(さいはく)町との境の手間(てま)山に比定されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by