西伯(読み)さいはく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西伯」の意味・わかりやすい解説

西伯(鳥取県)
さいはく

鳥取西部西伯郡にあった旧町名(西伯町(ちょう))。現在の南部町(なんぶちょう)の西部・南部地区。1955年(昭和30)法勝寺(ほっしょうじ)、東長田(ひがしながた)、上(かみ)長田、大国(おおくに)、天津(あまつ)の5村が合併して成立。2004年(平成16)会見町(あいみちょう)と合併して南部町となる。旧町域の中央を北流する法勝寺川に沿って国道180号が通じる。北部には古墳群や条里遺構がある。中心の法勝寺は旧出雲(いずも)往来宿場町。法勝寺川上流の賀祥(かしょう)ダム付近には元応(げんおう)2年(1320)の銘のある鉄製の観音像を収蔵し、また西伯出身の孔版画家板祐生(いたゆうせい)の作品やコレクションを収蔵・展示する「祐生出会いの館」がある。谷奥の東長田、上長田地区は江戸時代のたたら製鉄地域。集塊岩からなる金花山(きんかざん)は奇岩と植生に富む。農林業を主とし、近世以来の法勝寺焼特産する。

[岩永 實]

『『西伯町誌』(1975・西伯町)』


西伯(文王)
せいはく

周王朝の基礎をつくった文王(ぶんおう)の号。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西伯」の意味・わかりやすい解説

西伯
さいはく

鳥取県西部,日野川の支流法勝寺川の上・中流域にある地域。旧町名。米子市の南に接する。 1955年天津,大国,法勝寺,東長田,上長田の5村が合体して町制。 2004年 10月に会見町と合併し南部町となった。中心集落の法勝寺は江戸時代の宿場町で,たたら製鉄で知られた。開拓古く,付近には古墳群や条里制遺構がある。「法勝寺焼」は伝統的な特産物。鎌倉時代の鉄製観音像を収蔵する白山神社がある。国道 180号線が通る。

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百科事典マイペディア 「西伯」の意味・わかりやすい解説

西伯[町]【さいはく】

鳥取県西部,西伯郡の旧町。主集落法勝寺(ほっしょうじ)は日野川の支流法勝寺川の上流域にあり,近世の宿場町。上流山地では,たたら製鉄が盛んであった。米,和牛,林産物生産,法勝寺焼を特産。東長田はオオサンショウウオ特別天然記念物)の生息地。2004年10月西伯郡会見町と合併し町制,南部町となる。83.08km2。8190人(2003)。

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改訂新版 世界大百科事典 「西伯」の意味・わかりやすい解説

西伯 (さいはく)

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世界大百科事典(旧版)内の西伯の言及

【文王】より

…名は姫昌(きしよう)。陝西盆地の周族は文王の時代,なお殷王朝の支配下にあったが,太顚(たいてん),閎夭(こうよう),散宜生(さんぎせい)らの賢臣の補佐もあって実力を蓄え,文王は中国西部の支配をまかされて西伯と呼ばれた。しかし周族の勢力の伸長は殷の紂王(ちゆうおう)の警戒心をよびおこし,文王は羑里(ゆうり)にとらわれることになる。…

※「西伯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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