太田聴雨(読み)オオタ チョウウ

20世紀日本人名事典 「太田聴雨」の解説

太田 聴雨
オオタ チョウウ

大正・昭和期の日本画家



生年
明治29(1896)年1月18日

没年
昭和33(1958)年3月2日

出生地
宮城県仙台市

本名
太田 栄吉

主な受賞名〔年〕
院展日本美術院賞〔昭和5年〕

経歴
明治42年上京、43年から川端玉章門の内藤晴州に日本画を学び、昭和2年前田青邨師事安田靫彦、小林古径らの影響も受け歴史画に新領域を開拓した。5年第17回院展に初出品した「浄土変」が美術院賞となり、引き続き院展で入賞、11年日本美術院同人に推された。同年文展出品の「星を見る女性」は文部省買い上げとなった。26年以来東京芸術大学助教授として後進を育てた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「太田聴雨」の意味・わかりやすい解説

太田聴雨
おおたちょうう
(1896―1958)

日本画家。本名栄吉。仙台市に生まれる。1909年(明治42)に上京、川端玉章門下で四条派の画家内藤晴州についた。18年(大正7)ごろ青樹社を結成、27年(昭和2)改めて前田青邨(せいそん)に師事した。30年院展に初入選した『浄土変』が第1回日本美術院賞を受賞、以後院展に出品を続けて36年に同人に推された。明快な構図色調で現代風俗をとらえた作で知られ、『お産』『星を見る女性』などが代表作。51年(昭和26)から亡くなるまで東京芸術大学助教授を務めた。

原田 実]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「太田聴雨」の意味・わかりやすい解説

太田聴雨【おおたちょうう】

日本画家。宮城県生れ。本名栄吉。1910年円山派の内藤晴州に師事。1915年青樹社結成に参加(1934年解散)。1927年前田青邨に師事。1930年日本芸術院展入選。現代風俗をモティーフにした作品で注目された。代表作《種痘》《星を見る女性》。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田聴雨」の解説

太田聴雨 おおた-ちょうう

1896-1958 大正-昭和時代の日本画家。
明治29年10月18日生まれ。川端玉章門下の内藤晴州にまなぶ。青樹社を結成し,昭和2年より前田青邨(せいそん)に師事。5年院展で「浄土変」が第1回日本美術院賞。26年東京芸大助教授。昭和33年3月2日死去。61歳。宮城県出身。本名は栄吉。別号に翠岳。作品に「星を見る女性」など。

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367日誕生日大事典 「太田聴雨」の解説

太田 聴雨 (おおた ちょうう)

生年月日:1896年1月18日
大正時代;昭和時代の日本画家。東京芸術大学助教授
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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