小説家。山形県生まれ。本名奥泉康弘。国際基督(キリスト)教大学教養学部卒業。同大大学院文化研究科博士課程前期修了。1986年(昭和61)『すばる』に「地の鳥 天の魚群」を発表。その後『滝』(1990)、『葦と百合』(1991)、『ノヴァーリスの引用』(1993)などで注目を集める。94年(平成6)『石の来歴』で芥川賞受賞。以後も長編小説を中心に積極的な執筆を続けている。奥泉が小説を書き出したのは大学院時代の20代末だったという。院では大塚久雄に師事しつつ、マックス・ウェーバーの枠組みを使って古代イスラエル社会経済史を研究していた。この時期の共訳書にH・G・キッペンベルクHans G. Kippenberg(1939― )の『古代ユダヤ社会史』(1986)がある。古代イスラエルへの関心は、今も奥泉が「小説について考える場合、いつも念頭にある」という『旧約聖書』に対する興味となって持続しているとみるべきだろう。だがそれ以上に重要なのは、彼がイスラエル氏族史研究を通して、個人と共同体の関係、さらに共同体を変容させていく政治的・経済的諸条件の力といった問題に関心をもったことである。そうした問題意識は、現在の小説作品においても一貫した通奏低音として保持されている。また奥泉の特徴は小説の形式に対する先鋭な意識にある。彼の作品はしばしばパロディーかメタフィクションであり、基本的な枠組みとしてはミステリーの形式を採用する。そこには小説を小説たらしめる形式とは何かという批評意識が存在しており、これまでに誕生した小説の形式を時代やジャンルの枠を越えて反復することで、その可能性と限界を確認したいという欲望が感じられる。だがそうした形式的実験が実験に終わらず、娯楽小説としての魅力を増大させるために使われているのも特異なところであろう。「三人称リアリズム」に対する違和感から、一人称テキストと三人称テキストの相互批判を試みた『葦と百合』、ミステリー、ファンタジー、ホラーといったジャンルのスタイルを次々に巡回していく『ノヴァーリスの引用』、漱石の『吾輩は猫である』の語り手の猫が、上海で殺人事件解決に奔走するさまを文体模写によって書ききった『「吾輩は猫である」殺人事件』(1996)などにその特徴がよく表れている。そうした「語りの方法」の前景化によって明らかにされるのは、認識というものの根本的な虚構性であり、その虚構を前提として生きざるをえない人間存在の条件である。他の主な作品に、真珠湾攻撃からミッドウェー海戦へ至る戦局を背景に、海軍大尉の服毒自殺の謎を複雑な構成で描いた『グランド・ミステリー』(1998)、エッセイ集『虚構まみれ』(1998)、タイムスリップというSF的な趣向に愛好するジャズの蘊蓄(うんちく)を詰めこんだ『鳥類学者のファンタジア』(2001)などがある。
[倉数茂]
『『滝』(1990・集英社)』▽『『ノヴァーリスの引用』(1993・新潮社)』▽『『虚構まみれ』(1998・青土社)』▽『『鳥類学者のファンタジア』(2001・集英社)』▽『『葦と百合』(集英社文庫)』▽『『石の来歴』(文春文庫)』▽『『「吾輩は猫である」殺人事件』(新潮文庫)』▽『『グランド・ミステリー』(角川文庫)』▽『H・G・キッペンベルク著、奥泉康弘・紺野馨訳『古代ユダヤ社会史』(1986・教文館)』
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