如意村(読み)ねおいむら

日本歴史地名大系 「如意村」の解説

如意村
ねおいむら

[現在地名]越生町如意

今市いまいち村の東、越辺おつぺ川左岸で岩殿いわどの丘陵の西麓台地に立地。村名は如意輪観音本尊とする如意によい(現在は観音堂のみ残り如意輪堂ともいう)によると伝え、観音堂に応保二年(一一六二)一一月一二日造立の墨書銘がある木造如意輪観音半跏像(県指定文化財)がある。「報恩寺年譜」康永三年(一三四四)一二月一三日の条にみえる如意小太郎行村は当地にかかわる人物とみられる。

如意村
によいむら

[現在地名]北区如意・如来によらい町・若鶴わかづる町・五反田ごたんだ

東を味鋺原あじまはら新田(現春日井市)と接する。康治二年(一一四三)の尾張国安食荘立券文(醍醐寺文書)に「熱田宮御領 東如意五箇里百八十町(中略)西如意二箇里七十二町」とみえ、織田信雄分限帳に「(六)百四拾貫文 如意之郷 大方殿様」などとある。

寛文一一年(一六七一)の家数一二七、人数七一六(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田六八町一反八畝余・畑三一町二反四畝弱で、概高一千五七八石余のうち一千一九四石余が藩士三二人の給知。

如意村
によいむら

[現在地名]西区櫨谷町谷口はせたにちようたにぐち

櫨谷川中流左岸、谷口村の東方谷奥に位置する。如意寺門前村ともいう(明石記)慶長国絵図に如意寺とみえる。正保郷帳に女意村とあり、田方八一石余・畑方四石余、松山あり。元禄郷帳・天保郷帳ともに如意寺として高一二九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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