日本歴史地名大系 「妙音寺」の解説 妙音寺みようおんじ 茨城県:岩井市神田山村妙音寺[現在地名]岩井市神田山延命(えんめい)院の南三〇〇メートルに所在。東通用門が山門のようにみえる。神田山正覚院妙音寺と称し真言宗豊山派。本尊金剛界大日如来。「下総旧事考」に「妙音寺、在神田山村、創建不詳、僧長伽所開也、隷紀伊高野三昧院、寺領五石」とある。寺伝によると中興開山の慶賢が大永四年(一五二四)に高野山金剛三昧院と本末関係を結んだ。中興四世融印は永禄六年(一五六三)高野山良昌阿闍梨から法流を相続し、法具類を与えられたので、融印を法流開山と称する。文化六年(一八〇九)に堂宇伽藍を焼失し、山門だけが残った。 妙音寺みようおんじ 佐賀県:東松浦郡相知町相知村(馬場村)妙音寺[現在地名]相知町大字相知相知(おうち)集落北方の丘にある。山号は瑞松山、曹洞宗。本尊は木彫聖観音像。「松浦拾風土記」に「本尊聖観造立観応四年、築地孫四郎入道弾正、妻女善勝尼造立、仏子奈良宰相湛勝、脇子二天断」と記す。その後、湛然が伽藍を建て、相知孫四郎蓮喜が崇敬して田畑を寄進。戦国期に至り伽藍は破壊された。享禄二年(一五二九)武雄の円応(たけおのえんのう)寺(現武雄市)二世勝山が波多壱岐守盛を大檀那として再興した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「妙音寺」の解説 妙音寺 (神奈川県三浦市)「かながわの花の名所100選」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by