孔祥煕(読み)こうしょうき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「孔祥煕」の意味・わかりやすい解説

孔祥煕
こうしょうき / コンシヤンシー
(1881―1967)

中国の実業家、政治家。孔子の75世の後裔(こうえい)。明(みん)末に山東(さんとう/シャントン)から山西(さんせい/シャンシー)へ移ったため山西省の金融業の家に生まれる。アメリカ人宣教師経営の太谷小学を卒業、同じく宣教師経営の北清連合書院(北京(ペキン)近郊)に学び(1896~1900)、ついで李鴻章(りこうしょう)の命で1901年アメリカ留学、1906年オベリン大学卒業、1907年エール大学修士を取得し帰国。在米中に孫文(そんぶん/スンウェン)と会ったことも影響して清(しん)朝の官途につかず、郷里に銘賢(めいけん)学校を設立。1913~1916年(大正2~5)東京で孫文の英語秘書を務め、宋靄齢(そうあいれい/ソンアイリン)(宋嘉樹(そうかじゅ/ソンチーアシュー)の長女。次女の宋慶齢(そうけいれいソンチンリン)は孫文夫人、長男は宋子文(そうしぶん/ソンツーウェン)、三女宋美齢(そうびれい/ソンメイリン)は蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)夫人)と結婚。1919年山西に戻り家業と学校の経営にあたり、1924年国民党一全大会に参加。孫文死後は蒋介石を公私両面で支持し、宋美齢との仲人(なこうど)にもなる。1928年国民政府実業部長、1933年中央銀行総裁につき1935年の幣制改革を実現した。1939~1944年行政院副院長。1945年引退。1948年以降アメリカに在住し、台湾数回訪問しただけであった。

[加藤祐三]

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改訂新版 世界大百科事典 「孔祥煕」の意味・わかりやすい解説

孔祥煕 (こうしょうき)
Kǒng Xiáng xī
生没年:1880-1967

中国の民国時代の政治家。字は庸之。欧米ではH.H.Kungで知られる。山西省太谷県の出身。アメリカ留学ののち1907年(光緒33)に帰国,銘賢学校の校長となる。辛亥革命,国民革命を経験したのち,28年南京国民政府工商部長。33年には宋子文にかわって財政部長,中央銀行総裁をつとめ,38年行政院院長。その他にも政府の役職多数を歴任した。四大家族の一人で,妻の宋靄齢は宋子文の姉である。
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百科事典マイペディア 「孔祥煕」の意味・わかりやすい解説

孔祥煕【こうしょうき】

中国四大家族の一人。H.H.Kungと通称。山西省出身。米国留学の後,孫文のもとで活躍。閨閥(けいばつ)を通じ1930年以降国民政府の財政・経済の要職を歴任,金融界を支配し巨富を蓄積する。1948年米国へ脱出。

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世界大百科事典(旧版)内の孔祥煕の言及

【四大家族】より

…中国,民国時代の四大家族財閥。蔣介石,宋子文,孔祥熙,陳果夫と陳立夫の各家族を指す。いずれも南京国民政府時代に,国民党および国民政府の要職につくことによって財産蓄積の基礎をつくり,日中戦争時期の統制経済の中で大財閥に発展した。…

※「孔祥煕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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