孫詒譲(読み)そんいじょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「孫詒譲」の意味・わかりやすい解説

孫詒譲
そんいじょう
(1848―1908)

中国、清(しん)末の学者。字(あざな)は仲容、号は籀(ちゅうけい)。浙江(せっこう)省瑞安(ずいあん)県の人。1867年(同治6)の挙人高官で学者でもあった父の衣言(いげん)(1814―1894)は愈樾(ゆえつ)と親交があり、その影響でつとに『国朝漢学師承記』『皇清経解(こうせいけいかい)』を読んで経学に親しみ、会試に及第せぬまま読書著述に専念した。『周礼(しゅらい)正義』は清朝経学の堆積(たいせき)のうえに成ったきわめて綿密な『周礼』の疏(そ)(注釈)であり、『墨子間詁(ぼくしかんこ)』は清朝経学の方法が諸子のなかでも難読とされる書に及ぼされての成果である。金石文研究『古籀(こちゅう)拾遺』『古籀餘論(よろん)』『名原(めいげん)』、また殷墟(いんきょ)出土甲骨文に初めて学術的な研究を加えた『契文(けいぶん)挙例』がある。『札迻(さつい)』は経史子集にわたって古書を校定する。文集は『籀(ちゅうけい)述林』という。晩年に温州師範学堂の長を務めた。

[近藤光男 2016年3月18日]

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改訂新版 世界大百科事典 「孫詒譲」の意味・わかりやすい解説

孫詒譲 (そんいじょう)
Sūn Yí ràng
生没年:1848-1908

中国,清末の学者。字は仲容,号は籀廎(ちゆうけい)。浙江省瑞安県の人。同治6年(1867)の挙人。刑部主事に任ぜられたが,まもなく退いて学問に専念,同郷の碩学兪樾(ゆえつ)に師事した。また戴望らと親しく交わって,経書をはじめ史書,金石文,のちには甲骨文まで研究した。彼は訓詁による考証を得意とし,《周礼正義》《墨子間詁》は不朽名著であり,《契文挙例》は甲骨文に関する最初の組織的な研究書である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「孫詒譲」の意味・わかりやすい解説

孫詒譲
そんいじょう
Sun Yi-rang

[生]道光28(1848)
[没]光緒34(1908)
中国,清末の学者。浙江省瑞安の人。字は仲容。号は籀膏 (ちゅうこう) 。同治6 (1867) 年挙人に及第,光緒 11 (85) 年刑部主事となったがまもなく退官,以後没するまで学究生活をおくった。父衣言の友人兪 樾 (ゆえつ) に師事し,経学,諸子,小学,金石文など幅広く修めた。『周礼正義』 (86巻) ,『墨子 閒詁』 (15巻) ,『札い (さつい) 』 (12巻) をはじめ,『大戴礼記こう補 (だたいらいきこうほ) 』『古籀拾遺』『名原』『契文挙例』『温州経籍志』など著書は多岐にわたる。正統的な清朝考証学の最後の大家

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世界大百科事典(旧版)内の孫詒譲の言及

【皖派】より

…皖とは中国安徽省の古名で,清代に,この地に多くの学者を輩出したので,その人々を皖派と称しているが,大きくは浙西学派に含まれる。江永,戴震に源を発して段玉裁,任大椿,王念孫,王引之,さらに後の兪樾(ゆえつ),孫詒譲(そんいじよう)らに受けつがれた。この学派は懐疑的態度によって事実を確かめ,帰納的論理的に分析する方法を共通点としていることで,恵棟らの漢代訓詁を固守する呉派とは大いに異なる。…

【甲骨学】より

…編者の劉鶚はその序文のなかで,甲骨文中にあらわれる祖先名は,殷の人であると推定している。翌04年には,古典・金文研究の大家であった孫詒譲が,《鉄雲蔵亀》の資料をもとにして,《契文挙例》を出版し,解読方法を開拓し,さらに日本の林泰輔によって,甲骨文が殷王室の卜人の書いた記録であることが説かれた。これらの意見をもとに,羅振玉と王国維によって,文字の解読と,甲骨文を使用した歴史研究の基礎がつくられた。…

※「孫詒譲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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