中田 博之
ナカダ ヒロユキ
- 職業
- 箏曲家(山田流),作曲家
- 肩書
- 山田流箏曲協会会長,日本三曲協会会長 重要無形文化財保持者(箏曲)〔平成2年〕
- 別名
- 別名=宇治 文中
- 生年月日
- 大正1年 12月25日
- 出生地
- 東京市 浅草区(東京都 台東区)
- 学歴
- 東京音楽学校(東京芸術大学)選科〔昭和13年〕修了
- 経歴
- 大正15年人間国宝の初代越野栄松に師事し、昭和2年杵屋勝松に長唄を学ぶ。5年鹿島亥子に宇治派一中節を学び、亥子の没後は5代目・6代目宇治紫文に師事。9年東京音楽学校作曲科専科に入学、洋楽の作曲法とピアノを学ぶ。18年山田流箏曲協会より独立家元の資格を承認される。34年正派音楽院講師。40年宇治文中の芸号を取得。古典曲の継承と同時に自らの個性を生かした歌唱法を確立した。山田流箏曲の第一人者で、平成元年山田流箏曲協会会長。2年人間国宝。3年日本三曲協会会長。箏楽会主宰。荻江節、一中節にも造詣が深い。創作曲に「胡山の月」「埴輪」「琵琶行」「秋篠寺」「恋夫帖」「王昭君」など。
- 所属団体
- 日本三曲協会,山田流箏曲協会
- 受賞
- 紫綬褒章〔昭和57年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和63年〕 芸術祭賞奨励賞〔昭和29年・42年〕,芸術祭賞優秀賞〔昭和45年〕「恋夫帖」,舞台芸術創作特別奨励賞〔昭和55年〕,芸能功労者表彰〔昭和56年〕,モービル音楽賞(第17回)〔昭和62年〕
- 没年月日
- 平成12年 12月8日 (2000年)
- 家族
- 妻=中田 立(舞踊名=藤間勘素鳳・高橋是清の孫),母=中田 慶賀(箏曲家)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
中田 博之
ナカダ ヒロユキ
昭和・平成期の箏曲家(山田流),作曲家 山田流箏曲協会会長;日本三曲協会会長。
- 生年
- 大正1(1912)年12月25日
- 没年
- 平成12(2000)年12月8日
- 出生地
- 東京
- 別名
- 別名=宇治 文中
- 学歴〔年〕
- 東京音楽学校選科(作曲)〔昭和13年〕修了
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術祭賞(奨励賞)〔昭和29年・42年〕,芸術祭賞(優秀賞)〔昭和44年〕,舞台芸術創作特別奨励賞〔昭和55年〕,芸能功労者表彰〔昭和56年〕,紫綬褒章〔昭和57年〕,モービル音楽賞(第17回)〔昭和62年〕,勲四等旭日小綬章
- 経歴
- 昭和2年人間国宝の初代越野栄松に師事し、古典曲の継承と同時に自らの個性を生かした歌唱法を確立した。山田流箏曲の第一人者で、平成元年山田流箏曲協会会長。2年人間国宝。3年日本三曲協会会長。箏楽会主宰。荻江節、一中節にも造詣が深い。創作曲に「琵琶行」「秋篠寺」「王昭君」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
中田博之 なかだ-ひろゆき
1912-2000 昭和-平成時代の箏曲家,作曲家。
大正元年12月25日生まれ。15歳で初代越野栄松に師事し,山田流箏曲をまなぶ。山田流古曲伝承のほか,独自の歌唱法を確立させ,歌物にすぐれる。数おおくの新曲を発表。平成2年人間国宝。3年日本三曲協会会長。平成12年12月8日死去。87歳。東京出身。東京音楽学校(現東京芸大)選科修了。作品に「秋篠寺」「王昭君」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
中田 博之 (なかだ ひろゆき)
生年月日:1912年12月25日
昭和時代;平成時代の箏曲家(山田流);作曲家
2000年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の中田博之の言及
【山木派】より
…門下からは,初世藤井千代賀(1878‐1965),初世越野栄松(1887‐1965)などの名手が輩出。現在は,初世越野門下の中田博之(1912‐ ),室岡松孝(1918‐ )や,2世藤井千代賀(1918‐ )などが山木派を代表している。ただし,1948年には,4世の孫の重明(1915‐81∥大正4‐昭和56)が5世を襲名して,山木千賀を名のった。…
※「中田博之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」