室町後期の俳人。伊勢内宮禰宜(いせないくうねぎ)荒木田(薗田(そのだ)家)氏秀(うじひで)の子。15歳のとき十禰宜、以後累進して69歳のとき一禰宜となり、内宮長官を務める。伊勢山田は南北朝期から連歌が盛んで、守武も少年のころから連歌をたしなみ、宗祇(そうぎ)編『新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)』(1495成)には兄守晨(もりとき)とともに一句ずつ入集(にっしゅう)している。現存の連歌作品には『法楽発句集(ほうらくほっくしゅう)』『宗長(そうちょう)追善千句』『秋津洲(あきつす)千句』などがあり、おもに宗長、宗碩(そうせき)、肖柏(しょうはく)の指導を受けた。ほかに『法楽和歌千首』、『世中百首』(道歌)、恋の小話23編などを収めた『守武随筆』の著述もあるが、彼の名を高からしめたのは俳諧(はいかい)作品である。すでに1530年(享禄3)に独吟百韻を詠み、俳諧に興味を示していた彼は、1536年(天文5)に史上初の千句独吟を試み、苦心のすえ、4年後にようやく完成にこぎ着けた。没後『守武千句』の名で刊行(1652)され、彼を俳諧始祖の地位に押し上げた。その作風は、無心所着体(むしんしょじゃくたい)(意味不明の句作りをいう)を基調とする前句付(まえくづけ)風の付け方が目だち、荒唐無稽(こうとうむけい)な笑いの世界をつくりだした。ほかに『俳諧詠草』(付句29)、晨彦(ときひこ)らとの『四吟百韻』の俳諧作品がある。伊勢の地は彼を中心として一大俳諧勢力を築き上げ、貞門、談林両期はもちろん、中興期に至るまで俳壇に大きな影響を与え続けた。
[加藤定彦]
元日や神代のことも思はるゝ
『『荒木田守武集』(1951・神宮司庁)』▽『伊藤正雄著『荒木田守武』(『俳句講座2 俳人評伝 上』所収・1958・明治書院)』▽『奥野純一著『伊勢神宮神官連歌の研究』(1975・日本学術振興会)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
働き手が自分の働きたい時間に合わせて短時間・単発の仕事に就くこと。「スポットワーク」とも呼ばれる。単発の仕事を請け負う働き方「ギグワーク」のうち、雇用契約を結んで働く形態を指す場合が多い。働き手と企...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新