デジタル大辞泉
「前句付」の意味・読み・例文・類語
まえく‐づけ〔まへク‐〕【前句付(け)】
雑俳の一。出題された七・七の短句(前句)に五・七・五の長句(付句)をつけるもの。元禄(1688~1704)ごろから庶民の間に流行、のちの川柳の母体となる。例えば「美事なりけり美事なりけり」に「要ぎは残してさっと海に落ち」とつける類。
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まえく‐づけまへク‥【前句付】
- 〘 名詞 〙
- ① 連歌・俳諧で、ある下の句(短句)の前句に対して、いろいろ上の句(長句)の付句を試みること。また、逆に長句の前句に短句の付句をつける場合もある。
- ② 雑俳の形式の一つ。二句だけの付合が独立したもの。出題された前句(多くは七・七の短句)に付句(多くは五・七・五の長句)を付ける点取競技。出題した宗匠が、集まった句を撰してその高点句を刊行した。万治年間(一六五八‐六一)から庶民の間に流行し、のち冠付(かむりづけ)、沓付(くつづけ)、川柳狂句などの諸形式を生んだ。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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前句付 (まえくづけ)
雑俳の中心的な様式。出題された前句に付句(つけく)をするもの。連歌時代から付合(つけあい)練習として行われてきた,5・7・5の17音に7・7の14音の短句を付けたり,14音に17音の長句を付けたりする二句一章の付合単位が,元禄(1688-1704)ごろから,俳諧から離れて,機智的な人事人情を求める民衆文芸として独立。さらに笠付や川柳風狂句を生み出した。〈あつい事也あつい事也/たまらずにそなたも蚊やを出た衆か〉〈世の中は大方うそとおもはるゝ/節季の貧は見えぬ元日〉(《すがたなそ》)。
→雑俳
執筆者:鈴木 勝忠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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前句付
まえくづけ
雑俳の中心をなす形式。五七五の題に七七,あるいは七七の題に五七五をつける。初心者のための連句の稽古として行われていたが,三都の宗匠の出題に対し地方俳人が広く投句するようになって大衆化し,やがて遊戯性の強い俳諧として分化した。元禄頃には点者と作者の仲介を行う会所ができ,高点句集の出版も行った。高点には褒賞も出されたので,付句1句の奇抜さにしのぎを削るようになり,のちに付句だけが独立して川柳がうまれた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の前句付の言及
【賭博】より
…六句とは各句ごとに四季と恋と名所の合計六つをそれぞれ詠みこんだもので,6句を1組とした作句である。六句付は下の句の出題に対し上の句(前の句)を創作して解答する方法で,連歌と同様に[前句付](まえくづけ)と呼ばれた。寛文年間(1661‐73)末期には前句の創作の良否によって作者の成績の順位を明確にし,杯や扇子などを賞品として与えるようになった。…
※「前句付」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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