直隷派(読み)ちょくれいは(英語表記)Zhi-li-pai

精選版 日本国語大辞典 「直隷派」の意味・読み・例文・類語

ちょくれい‐は【直隷派】

袁世凱死後分裂した北洋軍閥一つ。直隷(河北省出身馮国璋にはじまり、のち呉佩孚に率いられる。一九二四年の第二次奉直戦争後衰退した。

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デジタル大辞泉 「直隷派」の意味・読み・例文・類語

ちょくれい‐は【直隷派】

中華民国初期の北洋軍閥の一。直隷省(河北省)出身の馮国璋ふうこくしょう曹錕そうこん呉佩孚ごはいふらが中心安徽派奉天派を抑え、1920年には北京政府の実権をにぎったが、北伐軍に駆逐され、1928年には消滅した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「直隷派」の意味・わかりやすい解説

直隷派
ちょくれいは
Zhi-li-pai

中国の北洋軍閥一派馮国璋曹こん呉佩孚,斉燮元,孫伝芳らが中心であった。 1917年頃にこの名称が生れ,22~24年が全盛期で,北京政府を支配下においたが,28年北伐成功に伴う北洋軍閥全滅によって消滅した。 17年の張勲復辟 (帝政復活) 失敗後,段祺瑞内閣の復活,馮国璋大総統の就任とともに段,馮の対立が起り,両者の出身地によって安徽派,直隷派と呼ばれた。両派の対立は,まず 17年の中国の第1次世界大戦参加問題をめぐって表面化し,安徽派の勝利に終った結果,20年まで安徽派が北京政府を支配し,南方派に対する武力討伐による国内統一策を推進したのに対抗して,直隷派はひそかに南方派のなかの広西派軍閥 (陸栄廷ら) と結び,安徽派の武力統一策を牽制した。 19年馮の死により曹こんが筆頭となり,20年7月安徽派との間の安直戦争に勝ち,以後2年間は奉天派との提携による奉直連合政権時期が続き,英米と結び江蘇に斉燮元,両湖に呉佩孚を配置し,呉は広東軍閥陳炯明ともひそかに連携して広東政府の孫文らを脅かした。ワシントン会議の際は対日強硬論を唱え,奉天派に支持された梁士詒内閣を親日売国として非難し,22年4~5月の第1次奉直戦争で奉天派張作霖に勝ち,以後2年間北京政府を掌握し全盛期にあった。 23年曹こんは賄賂により総統となり,賄選総統の悪名を残した。 24年9~10月の第2次奉直戦争で,直隷派は馮玉祥の寝返りにより惨敗し,北京政府は安徽派,奉天派,国民軍の支配下におかれた。 26年国民軍に対抗して奉直連合軍が「反赤」をスローガンにして結成され,国民軍を破って北京に奉直連合内閣をつくり,広東の国民政府による国民革命に反対したが,28年国民革命軍の北伐成功に伴い,北洋軍閥の各派とともに全滅した。一部の残党は東北や華北で再挙をはかり,抗日戦争中は日本による傀儡 (かいらい) 政権にも参加した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「直隷派」の解説

直隷派(ちょくれいは)

中国の軍閥の一つ。1917年頃,領袖であった馮国璋(ふうこくしょう)が直隷省(現,河北省)出身であったところからその名が生まれた。馮は長江流域を地盤とする地方軍閥出身で,安徽(あんき)派と対立し,ひそかに南方の広西派と結んだ。馮の死後,曹錕(そうこん)が代わり,安直戦争に勝ち,以後2年間奉天派と連合して北方政権を担当した。その後,奉直戦争に勝ち(22年),以後2年間直隷派の全盛時代となった。しかし第2次奉直戦争で敗れ,北京に安徽派,奉天派,国民軍(馮玉祥(ふうぎょくしょう))の連合政権が成立した。28年他の北方軍閥とともに消滅した。安徽派と異なり,直隷派は英米の支持を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「直隷派」の意味・わかりやすい解説

直隷派
ちょくれいは

中国の軍閥の一派。直隷省(現河北省)出身の馮国璋(ふうこくしょう/フォンクオチャン)、曹錕(そうこん)、山東省出身の呉佩孚(ごはいふ/ウーペイフー)らが中心で、イギリス、アメリカの勢力に支えられ、民国初年、日本が援助する段祺瑞(だんきずい/トワンチールイ)の安徽(あんき)派、張作霖(ちょうさくりん/チャンツオリン)の奉天派と対立抗争を続けた。1920年の安直戦争で段祺瑞を押さえ、また22年の奉直戦争で張作霖に勝って、北京(ペキン)政界に勢威を振るい、23年から24年にかけて曹錕が大総統になった。ところが24年、第二奉直戦争で敗れ、その後、26年には北伐軍による攻撃の矢面にたった張作霖と組んだが、結局、蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)らの北伐軍に駆逐され、完全に勢力を失った。

[安藤彦太郎]

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旺文社世界史事典 三訂版 「直隷派」の解説

直隷派
ちょくれいは

中華民国の北洋軍閥の一派
直隷(現在の河北)省出身の馮国璋 (ふうこくしよう) を首領として成立し,その後,曹錕 (そうこん) ・呉佩孚 (ごはいふ) が後継者となった。段祺瑞 (だんきずい) の安徽 (あんき) 派,張作霖 (ちようさくりん) の奉天派と北京政界の主導権を争い,1922年奉直戦争で奉天派を破って全盛期を迎えたが,24年第2次奉直戦争に破れて衰えた。

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百科事典マイペディア 「直隷派」の意味・わかりやすい解説

直隷派【ちょくれいは】

北洋軍閥

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世界大百科事典(旧版)内の直隷派の言及

【軍閥】より

…北洋軍閥は華北・華中の要衝をおさえることにより,周辺の諸軍閥をしたがえたのである。袁世凱の死後,北洋軍閥は段祺瑞の安徽派と馮国璋の直隷派に分裂し,雲南,広西方面には陸栄廷,唐継尭らの西南軍閥が割拠した。ここに南北分裂がはじまり,北京の中央に対立する広東政府の登場をみる。…

※「直隷派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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