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北洋軍閥 ほくようぐんばつ Bei-yang jun-fa; Pei-yang chün-fa

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北洋軍閥
ほくようぐんばつ
Bei-yang jun-fa; Pei-yang chün-fa

中国,清朝末期,袁世凱が育成した新式陸軍をもとに,民国以後の中央政府を支配した最大の軍閥。袁の死 (1916) 後は段祺瑞らの安徽派,馮国璋 (ふうこくしょう) ,曹こん呉佩孚 (ごはいふ) らの直隷派,張作霖の奉天派に分裂し,安徽派,奉天派は日本,直隷派はアメリカの支援を受けて,南方の革命派や西南軍閥に対抗するとともに,相互に北京の中央政府や地方の地盤を争奪し,「軍閥混戦」の事態を出現した。

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デジタル大辞泉の解説

ほくよう‐ぐんばつ〔ホクヤウ‐〕【北洋軍閥】

中国、民国時代初期に北京政府の実権を握った軍閥の総称。清末に北洋大臣袁世凱(えんせいがい)が組織した北洋新軍を基盤とした。袁の死後は安徽(あんき)派直隷派と傍系の奉天派に分裂。

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百科事典マイペディアの解説

北洋軍閥【ほくようぐんばつ】

中国,中華民国時代,袁世凱の流れをくんで北京の政権に参画した軍閥の総称。その政府を北洋政府,その時代(1913年―1928年)を北洋時代ともいう。その起源は,李鴻章から袁世凱が引き継いだ新建陸軍(兵力7000名)にある。
→関連項目王克敏呉佩孚曹【こん】北洋

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世界大百科事典 第2版の解説

ほくようぐんばつ【北洋軍閥 běi yáng jūn fá】

中国近代の袁世凱系軍事集団の総称。北洋とは南洋にたいする語で,江蘇,山東,直隷(河北),遼寧の北方沿海諸省を包括する,清末に設けられた歴史地理区画である。直隷総督が兼任する北洋大臣がその地域での外国との交渉問題などを管轄した。かつて北洋常備軍ともいった新軍を北洋軍と簡称したことはあるが,北洋軍閥との呼称は民国以後のものである。それは袁世凱の新軍創建に起源し,新軍の拡充にともない,1905年(光緒31)には〈北洋6鎮(鎮は師団)〉を数えるにいたった。

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大辞林 第三版の解説

ほくようぐんばつ【北洋軍閥】

中国で、袁世凱えんせいがいが編制した北洋新軍を母体として辛亥革命期に北京の政権を掌握した軍閥。袁の死後、分派の安徽あんき派・直隷ちよくれい派・奉天派が政権を争奪した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北洋軍閥
ほくようぐんばつ

中華民国初期、袁世凱(えんせいがい)を源流とし、北京(ペキン)政権を形成した軍閥の総称。その政府を北洋政府、その時代(1913~28)を北洋時代ともいう。日清(にっしん)戦争(1894~95)の敗北後、袁世凱によって育成された北洋新軍が北洋軍閥の基盤となった。1911年の辛亥(しんがい)革命の成果を奪い、第二革命(1913)の武力弾圧による袁の独裁化に伴って北洋派の支配が確立された。袁の死(1916)後、北洋軍閥は直隷(ちょくれい)派、安徽(あんき)派に分裂し、それに北洋の傍系である奉天(ほうてん)派の三派を主軸に対立、抗争を深めていった。軍閥相互の勢力関係の変転は、帝国主義列強相互の利害対立抗争を反映したもので、国際政治の変動と密接に関係していた。軍閥の財政基盤は、外国の借款と農民からの収奪にあった。26年に始まる国民革命軍の北伐により北洋派は事実上崩壊した。[南里知樹]

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世界大百科事典内の北洋軍閥の言及

【軍閥】より

…ゆえに地盤争奪のための戦争は不可避とされ,中華民国の前半20年間に大小数千回の内戦があったとされる。 中華民国となって最初に中央権力を掌握したのは,淮軍の流れをくむ袁世凱の北洋軍閥である。北洋軍閥は華北・華中の要衝をおさえることにより,周辺の諸軍閥をしたがえたのである。…

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