安東聖空(読み)アンドウ セイクウ

20世紀日本人名事典 「安東聖空」の解説

安東 聖空
アンドウ セイクウ

大正・昭和期の書家



生年
明治26(1893)年8月19日

没年
昭和58(1983)年3月3日

出生地
兵庫県

本名
安東 正郎(アンドウ マサオ)

学歴〔年〕
姫路師範〔大正3年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞〔昭和36年〕「みなそこ」,神戸市文化賞〔昭和48年〕,勲三等瑞宝章〔昭和49年〕,文化功労者〔昭和55年〕

経歴
「かな」一筋に歩み、戦後は日展でもかな書きの第一人者として審査員、評議員をつとめる一方、昭和36年の日展出品「みなそこ」で芸術院賞を受賞し、47年から日本芸術院会員。また日本書芸院理事長、日本かな書道会長を歴任、55年、かな書家では初の文化功労者に選ばれた。57年の歌会始では召人を務めた。主な著書に「古典かなの美全」(全3巻)「聖空百人一首」「書のこころ」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安東聖空」の意味・わかりやすい解説

安東聖空
あんどうせいくう
(1893―1983)

書家。兵庫県に生まれる。名を正郎、梅雪とも号した。教鞭(きょうべん)をとるかたわら、書を志し、20代後半より日下部鳴鶴(くさかべめいかく)の門人近藤雪竹(1863―1928)に師事して漢字を学ぶ。かなは、平安朝の代表的古筆『粘葉本(でっちょうぼん)和漢朗詠集』に範を求め独習。のち、かな書道研究誌『かなとうた』を創刊、第二次世界大戦後は『正筆』を主宰し、かな書道の普及に尽力した。古典に裏打ちされた清楚(せいそ)なかな美が多くの支持を集め、かな書壇の重鎮として活躍。芸術院会員。手本『梅雪かな帖』全3冊、著書『古典かなの美』全3巻がある。

[神崎充晴]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安東聖空」の解説

安東聖空 あんどう-せいくう

1893-1983 大正-昭和時代の書家。
明治26年8月19日生まれ。近藤雪竹(せっちく)に漢字をまなび,のち古筆かなを独習し,大正14年桑田笹舟(ささふね)らと正筆会を結成。昭和4年機関誌「かなとうた」を創刊。戦後は「正筆」を主宰し,かな書道の普及につくした。36年芸術院賞,55年文化功労者。昭和58年3月3日死去。89歳。兵庫県出身。姫路師範卒。本名は正郎(まさお)。別号に梅雪。著作に「古典かなの美」「聖空百人一首」など。

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367日誕生日大事典 「安東聖空」の解説

安東 聖空 (あんどう せいくう)

生年月日:1893年8月19日
大正時代;昭和時代の書家
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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