安永田遺跡(読み)やすながたいせき

国指定史跡ガイド 「安永田遺跡」の解説

やすながたいせき【安永田遺跡】


佐賀県鳥栖(とす)市柚比(ゆび)町にある集落跡。市の北東部に広がる段丘上に立地する柚比遺跡群の中に所在する。遺跡群は、約6000haの範囲に弥生時代以降の遺跡約30ヵ所が点在。1979年(昭和54)の範囲確認調査で銅鐸(どうたく)鋳型片が出土し注目を集め、翌年からの発掘調査で青銅器鋳造に関連する遺構遺物が検出された。1982年(昭和57)に弥生時代中期後半における九州での銅鐸鋳造を示す具体的な遺跡として、国の史跡に指定された。出土した銅鐸鋳型5点、銅矛(どうほこ)鋳型5点は重要文化財。銅鐸鋳型片の出土は、弥生文化を特徴づける北部九州を中心とする銅矛・銅剣文化圏、近畿地方を中心とする銅鐸文化圏という和辻哲郎が提唱した従来の見解に大きな影響を与える発見だった。遺構は竪穴(たてあな)住居跡49軒、甕棺墓(かめかんぼ)37基など、遺物は多数の土器のほか、銅鐸、鞴(ふいご)の羽口、砥石(といし)、石包丁などが出土している。JR鹿児島本線ほか鳥栖駅から車で約10分。

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改訂新版 世界大百科事典 「安永田遺跡」の意味・わかりやすい解説

安永田遺跡 (やすながたいせき)

佐賀県鳥栖市柚比町安永田にある弥生時代中期の銅鐸,銅鉾などの青銅器鋳造の工房を有する集落跡。脊振山地東端の九千部山の南麓に派生する谷の入り組んだ,標高約50mの丘陵鞍部の傾斜地にある。住居跡は58基あって谷に向かって開き,馬蹄形に配され,中央部の空地には,炉跡祭祀遺構がある。遺物は,弥生時代中期末ごろの土器に伴って,外縁付鈕式の横帯文銅鐸の鋳型と中細・中広式銅矛の両者型を彫った鋳型および星形石器が出土している。銅鐸の分布圏以外の地域,それも銅剣(戈)・銅鉾の分布圏の中心地で初めて銅鐸鋳造の事実が確認されたもので,弥生時代の文化圏設定や青銅器の起源に大きな問題を提起している。1982年に国指定史跡となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安永田遺跡」の意味・わかりやすい解説

安永田遺跡
やすながたいせき

佐賀県鳥栖(とす)市柚比(ゆび)安永田の丘陵地帯の谷頭に位置する弥生(やよい)時代の青銅器を鋳造した集落跡。1979~81年(昭和54~56)鳥栖市教育委員会の発掘調査で出土した銅鐸(どうたく)の鋳型(いがた)は、畿内(きない)を中心とした銅鐸分布圏外からの発見で、銅鐸文化圏と銅剣・銅矛文化圏といった弥生時代文化圏の定説に大きな問題を提起した。集落跡は弥生時代中期末を中心に約40戸営まれ、これらの遺構・遺物包含層から、弥生時代中期末の土器に伴って、銅鐸の鋳型が発見された。ほかに銅矛鋳型、ふいごの羽口(はぐち)片が出土し、この集落跡が青銅器類の工房跡と確認された。銅鐸鋳型は横帯文系、銅矛は中広形の型式である。隣接の甕棺(かめかん)墓地から、かつて中細形の銅戈(どうか)が出土している。82年国の史跡に指定された。

[高島忠平]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「安永田遺跡」の解説

安永田遺跡
やすながたいせき

佐賀県鳥栖(とす)市柚比(ゆび)町にある弥生時代の集落遺跡。1979年(昭和54)の確認調査により九州ではじめて銅鐸鋳型が出土。翌年度から鋳型出土地一帯で発掘が行われ,銅鐸鋳型は3軒の住居跡と土坑から合計5片が出土。鋳型はいずれも黒変し,ともに出土した土器から中期末頃のものと判明。製品は高さ20cm前後の外縁付鈕(ちゅう)式で,複合鋸歯(きょし)文や綾杉文による文様構成をもち,横帯文銅鐸との強い近縁関係を示す。遺跡からは銅鐸鋳造工房跡とみられる遺構のほか,鞴(ふいご)の羽口状土製品,中広形銅矛鋳型,銅矛鋳型未成品なども出土し,県東部の青銅器鋳造センターであったことが知られる。国史跡。

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