日本大百科全書(ニッポニカ) 「安田火災海上保険」の意味・わかりやすい解説
安田火災海上保険
やすだかさいかいじょうほけん
損害保険会社の旧名称。現、損害保険ジャパン日本興亜。1887年(明治20)に柳川清助らが有限責任東京火災保険会社を設立、翌1888年日本初の火災保険会社として営業を開始した。その後大火続発で業績が悪化、1893年に安田善次郎が再建を図り、株式会社となった。他方、同年安田善次郎らにより帝国海上保険株式会社が設立、海上保険中心に経営基盤を築いていった。1944年(昭和19)東京火災保険、帝国火災海上保険、第一汽罐(きかん)保険の3社が合併、安田火災海上保険が発足した。第二次世界大戦後の1950年代は貿易の進展に伴い、海上保険の拡大策を打ち出し、1960年代にはモータリゼーションの到来のもと、リスクを伴う反面、大きな成長も期待できる自動車保険の積極拡大策を展開した。火災保険でも、長期総合保険を戦略的商品として新市場を開拓した。販売網強化を目ざし、1971年(昭和46)にプロ代理店養成のための代理店研修生制度も発足した。1976年には新宿の本社ビル内に安田火災東郷青児(とうごうせいじ)美術館(現、東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館)を開館。1980年代に入ると、顧客の貯蓄型商品志向のもと、積立保険が最大の種目に成長、同社の総合金融機関化が急速に進展していった。2002年(平成14)日産火災海上保険と合併し、損害保険ジャパンとなり、2010年日本興亜損害保険との経営統合、SOMPOホールディングス設立に伴い、2014年には損害保険ジャパン日本興亜となった。合併前の資本金584億円(2002)、正味保険料約9636億円(2002)。
[中村青志]
『安田火災海上保険株式会社編・刊『安田火災百年史 明治21年~昭和63年』(1990)』