日本大百科全書(ニッポニカ) 「安藤為章」の意味・わかりやすい解説
安藤為章
あんどうためあきら
(1659―1716)
江戸中期の国学者。初め為明。通称は右平、のち新介。年山と号した。丹波(たんば)国(京都府)の人。和歌を中院通茂(なかのいんみちしげ)(1631―1710)に、儒学を伊藤仁斎(いとうじんさい)に学んだ。兄為実(ためざね)(1654―1717)とともに水戸の徳川光圀(とくがわみつくに)に招かれ、彰考館の寄人(よりうど)として『大日本史』や『礼儀類典』などの編纂(へんさん)にあずかる。光圀の命によって難波(なにわ)(大阪府)の契沖(けいちゅう)の指導を受け、考証学者として一家をなした。『紫女七論(しじょしちろん)』は紫式部の伝記研究の先駆として注目すべき著述であり、ほかに『栄華(えいが)物語考』『宇津保(うつぼ)物語考』や随筆『年山紀聞(ねんざんきぶん)』などがある。
[秋山 虔 2016年4月18日]