定林寺跡(読み)じようりんじあと

日本歴史地名大系 「定林寺跡」の解説

定林寺跡
じようりんじあと

[現在地名]河合町大字川合小字宮堂

広瀬ひろせ神社の傍らにあった神宮寺。江戸時代初期を下らないとみられる和州広瀬郡広瀬大明神之図(広瀬神社蔵)は、広瀬神社南方に定林寺という大伽藍と、神社西方の現定林寺地に神宮寺境内を描く。同図によれば、定林寺には金堂(本尊弥勒)講堂(本尊釈迦)・三重塔・太子堂・経蔵・食堂・鐘楼・天神社・弁財天社・楼門などがあって、聖徳太子が推古天皇の病気平癒を願って建立したと注記する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「定林寺跡」の解説

じょうりんじあと【定林寺跡】


奈良県高市郡明日香村立部にある寺跡で、別称、立部(たちべ)寺。丘陵と谷が入り組んだ檜隈(ひのくま)地域の東端に位置し、天武・持統天皇陵の東南東約400mの丘陵上に所在する。丘陵西端のやや広い平坦地に中心伽藍(がらん)が営まれ、南、西、北は深い谷に面するという特異な立地を示している。現在は本堂庫裏があるが、この伽藍を中心に、渡来系氏族が多く居住した地に残る保存良好な寺院跡として、1966年(昭和41)に国の史跡に指定され、1993年(平成5)に追加指定があった。調査は1953年(昭和28)以降、3次にわたって行われ、2重基壇を有する塔跡には地下式心礎と2個の礎石が残っていること、金堂あるいは講堂跡と思われる高い土壇は基壇の一部が鎌倉時代に改修されたこと、南面回廊と推定されていた土塁も鎌倉時代の築地であることなどが明らかになった。近畿日本鉄道橿原線ほか橿原神宮前駅から奈良交通バス「野口下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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