普天間飛行場(読み)フテンマヒコウジョウ

  • Futenma Air Station
  • ふてんまひこうじょう〔ヒカウヂヤウ〕

デジタル大辞泉の解説

沖縄県宜野湾市の中心部に位置する在日米軍施設。昭和20年(1945)、沖縄戦最中に米国陸軍が建設。昭和35年(1960)に海兵隊に移管された。周囲に住宅が密集し、深刻な騒音被害や墜落事故の危険性を早急に取り除く必要があるとされる。平成8年(1996)に日米政府間で全面返還の合意が成立し、一時は地元自治体も名護市辺野古崎沿岸への移設を容認したが、平成21年(2009)に民主党連立政権下で県外・海外移設が検討されたことを契機に、地元では県内移設反対の世論が高まっている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

沖縄県南部,宜野湾市中部の普天間にある,在日アメリカ軍の基地。面積約 4.8km2。おもにアメリカ海兵隊ヘリコプタ部隊と空中給油機部隊が駐留し,固定翼機,ヘリコプタ配備される。2012年に垂直離着陸機ベル/ボーイングV-22オスプレイの配備が開始された。軍人・軍属約 3200人,日本人従業員約 200人。長さ約 2800m,幅 46mの滑走路,格納庫,通信施設,整備・修理施設を備え,PX,クラブ,診療所などの福利厚生施設もある。面積の約 90%が民有地であり,約 3800人の地権者がいる。市中央部の住宅密集地に位置するため,事故の危険や航空機騒音など近隣住民の生活への影響が大きく,都市整備などの阻害要因になっているとされる。1945年対日占領と同時に接収され,アメリカ陸軍基地として滑走路が建設された。1960年,施設管理権が海兵隊に移管。1972年の沖縄返還後も,日本政府がアメリカ合衆国に提供することで存続した。
1995年のアメリカ兵による少女暴行事件を発端に,日米安保体制(→日米安全保障条約)の負担が沖縄県に集中することへの県民の不満が高まり,沖縄県内で基地反対運動が生じた。日米両政府は在日アメリカ軍の配備の見直しを開始し,翌 1996年,代替施設として沖縄県内にヘリポートを建設することを条件に,5~7年以内に普天間飛行場を返還することに合意した。また 2006年,在日米軍再編協議最終報告(日米ロードマップ)のなかで,移設の候補地となっていた名護市キャンプ・シュワブの辺野古沖に 2本の V字形滑走路をもつ海上基地を建設すること,約 8000人の海兵隊をグアム基地に移転することが合意された。2009~10年民主党鳩山由紀夫内閣が県外移設を模索したが,最終的に政府は辺野古移設を受け入れた。

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知恵蔵の解説

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