宝塚(市)(読み)たからづか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宝塚(市)」の意味・わかりやすい解説

宝塚(市)
たからづか

兵庫県南東部にある住宅・レクリエーション都市。1951年(昭和26)川辺郡小浜(こはま)村が町制施行して宝塚町となり、1954年武庫(むこ)郡良元(りょうげん)村と合併して市制施行。1955年長尾、西谷(にしたに)の2村を編入。2003年(平成15)特例市に移行(2015年施行時特例市に名称変更)。JR福知山線(JR宝塚線)、阪急電鉄の宝塚本線・今津線、国道176号、中国自動車道が通じ、宝塚インターチェンジがある。新名神高速道路の宝塚北サービスエリアはスマートインターチェンジを併設する。

 武庫川流域にあり、南部は大阪平野の一部を占め、北部洪積台地、丘陵地である。1885年(明治18)武庫川西岸の伊孑志(いそし)に炭酸性の鉱泉が発見され、2年後宝塚温泉として開発された。1897年に阪鶴(はんかく)鉄道(現、福知山線)、1910年(明治43)箕面有馬(みのおありま)電気軌道(現、阪急宝塚本線)が開通し、東岸に新温泉が湧出(ゆうしゅつ)、1911年(明治44)には宝塚新温泉(のち各種施設が整備され宝塚ファミリーランドとなる)も設けられ、大阪方面から訪れる客が増加した。さらに1913年(大正2)軌道会社が乗客誘致のために少女たちによる宝塚唱歌隊(のちの宝塚歌劇団)を結成し、翌1914年から温泉内の劇場で上演を始めた。その後、動物園、植物園などの施設の整備も進んだ。武庫川を挟んで温泉街が形成され、ファミリーランドには、動・植物園、おとぎセンター、大人形館、科学遊園、自然科学館など多角的な施設ができた。2003年宝塚ファミリーランドは閉園となり、跡地の一部に宝塚ガーデンフィールズがつくられたが2013年に営業終了。その後、2020年(令和2)に市立文化芸術センターが開館した。ほかに宝塚歌劇団の公演を行う宝塚大劇場がある。

 大阪市から電車で1時間たらずの距離にあり、早くから住宅開発をみたが、第二次世界大戦後は丘陵地などの住宅地化が進んだ。近郊農業も行われたが、戦後は金属機械工場の進出もみられる。東部の洪積台地の山本地区は埼玉県川口市、福岡県久留米(くるめ)市とともに日本3大植木産地として知られ、阪神諸都市の住宅用庭園樹、鉢植え盆栽を生産し、宝塚園芸振興センター「あいあいパーク」がある。切り花、球根などは北部の佐曽利(さそり)地区が中心となっている。西国三十三所第24番札所の中山寺(なかやまでら)は聖徳太子の開創といい、現在の堂宇豊臣秀頼(とよとみひでより)による再建。平安時代の十一面観音立像など国指定重要文化財も多い。清荒神(きよしこうじん)とよばれる清澄寺(せいちょうじ)には鉄斎美術館がある。武庫川支流羽束(はつか)川には神戸市水道局の千苅(せんがり)水源池があり、付近はハイキングコースとなっている。

 市では阪急宝塚南口駅前開発によるビル街「サンビオラ」、「ソリオ」の建設、逆瀬川駅前地区の開発、安倉(あくら)、安倉南、高司(たかつかさ)などの土地区画整理事業等を行い、また阪神・淡路大震災後の復興事業として行った売布(めふ)神社駅前地区、仁川(にがわ)駅前地区、宝塚駅前地区(花の道地区)の再開発事業も完了している。なお、1995年(平成7)1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では全壊家屋3553棟、半壊9296棟、一部破損1万4305棟、死傷者も数多く出るなど多大な被害を受けた。面積101.80平方キロメートル(境界一部未定)、人口22万6432(2020)。

[藤岡ひろ子]

『『宝塚市史』全8巻(1975~1981・宝塚市)』


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