宮薗 千之(4代目)
ミヤゾノ センシ
- 職業
- 宮薗節太夫
- 肩書
- 宮薗節千之派家元 重要無形文化財保持者(宮薗節・浄瑠璃)〔昭和35年〕
- 本名
- 轟 はん(トドロキ ハン)
- 別名
- 前名=宮薗 千秀(3代目),別名=常磐津 小助
- 生年月日
- 明治24年 9月21日
- 出身地
- 長野県
- 経歴
- 明治30年頃から義太夫節、清元節を学ぶ。41年2代目常磐津文字兵衛(2代目松寿斎)に入門、常磐津小助を名乗り、大正9年頃、3代目宮薗千之に入門し宮薗節を学ぶ。女流常磐津でも一流といわれた。昭和2年3代目千秀、28年4代目千之を襲名。35年宮薗節浄瑠璃の人間国宝に認定される。実姉・宮薗千富の三味線とのコンビによる常磐津節、宮薗節ともに一時代を築き、情のある語り口は当代の名人といわれた。作品に「祝言廓万歳」「心中雪解朝」など、私家版レコード「四世宮薗千之」がある。
- 受賞
- 勲五等宝冠章〔昭和41年〕 芸術祭賞奨励賞〔昭和29年〕
- 没年月日
- 昭和52年 7月26日 (1977年)
- 家族
- 姉=宮薗 千富(宮薗節三味線方)
宮薗 千之(2代目)
ミヤゾノ センシ
- 職業
- 宮薗節三味線方
- 肩書
- 宮薗節千之派家元
- 本名
- 小川 さな
- 生年月日
- 天保6年
- 出身地
- 江戸(東京都)
- 経歴
- 越後生まれとする説もある。長唄、山田流箏曲、一中節を学び、俗に“名人おさな”で知られ、箏の師匠をし、一中節菅野派の名取として有名。宮薗節は20歳のころ初代宮薗千寿に師事。明治17年2代目宮薗千之を襲名、2代宮薗千寿とともに中絶していた宮薗流再興を出願、世に出した功労者で、ともに取締となった。門弟育成にも尽くし10数人の名取、師匠を出した。21年「薗生の春」を作曲。
- 没年月日
- 明治42年 1月10日 (1909年)
宮薗 千之(3代目)
ミヤゾノ センシ
- 職業
- 宮薗節三味線方
- 肩書
- 宮薗節千之派家元
- 本名
- 片山 房枝
- 別名
- 前名=宮薗 千秀(2代目),別名=山彦 ふさ子,荻江 ふさ
- 生年月日
- 明治12年
- 出身地
- 東京
- 経歴
- 2代目宮薗千之の門人。明治34年2代目千秀、昭和7年3代目千之を継いだ。河東節を山彦秀翁、荻江節を荻江ひさに学んだ。絶妙の三味線で昭和初期の名人といわれた。
- 没年月日
- 昭和21年 10月3日 (1946年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
宮薗 千之(4代目)
ミヤゾノ センシ
昭和期の宮薗節三味線方 宮薗節千之派家元。
- 生年
- 明治24(1891)年9月24日
- 没年
- 昭和52(1977)年7月26日
- 出身地
- 長野県
- 本名
- 轟 はん
- 別名
- 前名=宮薗 千秀(3代目),別名=常磐津 小助
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術祭奨励賞〔昭和29年〕,勲五等宝冠章〔昭和41年〕
- 経歴
- 3代目宮薗千之の弟子。義太夫節、常磐津節を学び、大正2年常磐津小助、女流常磐津でも一流といわれた。宮薗節は3代千之に学び、昭和2年3代目千秀、28年4代目千之を襲名。35年宮薗節浄瑠璃の人間国宝に指定され、実姉宮薗千富の相三味線をつとめ、情を語る三味線として称賛された。作品に「祝言廓万歳」「心中雪解朝」など、私家版レコード「四世宮薗千之」がある。
宮薗 千之(3代目)
ミヤゾノ センシ
明治〜昭和期の宮薗節三味線方 宮薗節千之派家元。
- 生年
- 明治12(1879)年
- 没年
- 昭和21(1946)年10月3日
- 出身地
- 東京
- 本名
- 片山 房枝
- 別名
- 前名=宮薗 千秀(2代目),別名=山彦 ふさ子,荻江 ふさ
- 経歴
- 2代目宮薗千之の門人。明治34年2代目千秀、昭和7年3代目千之を継いだ。河東節を山彦秀翁、荻江節を荻江ひさに学んだ。絶妙の三味線で昭和初期の名人といわれた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
宮薗千之(4代) みやぞの-せんし
1891-1977 昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
明治24年9月21日生まれ。3代千之の門人。昭和2年3代宮薗千秀を名のり,28年宮薗節千之派の4代家元をつぐ。常磐津(ときわず)節では常磐津小助を名のった。35年宮薗節浄瑠璃で人間国宝。昭和52年7月26日死去。85歳。長野県出身。本名は轟(とどろき)はん。
宮薗千之(2代) みやぞの-せんし
1835-1909 明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
天保(てんぽう)6年生まれ。初代宮薗千寿に師事。明治17年宮薗節千之派の2代家元となり,おおくの門弟をそだてる。長唄,山田流箏曲(そうきょく)にすぐれ,一中節菅野(すがの)派の名取としても知られた。明治42年1月10日死去。75歳。本名は小川(村井)さな。
宮薗千之(3代) みやぞの-せんし
1879-1946 明治-昭和時代前期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
明治12年生まれ。2代千之の門人。明治34年2代宮薗千秀を名のり,昭和7年宮薗節千之派の3代家元をつぐ。河東(かとう)節では山彦ふさ子,荻江(おぎえ)節では荻江ふさを名のった。昭和21年10月3日死去。68歳。東京出身。本名は片山ふさ(房枝)。
宮薗千之(初代) みやぞの-せんし
?-1835* 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
江戸日本橋の陰間(かげま)茶屋の主人で,通称は山城屋清八。春富士春太夫の門人となり,宮薗節の江戸での流行に貢献した。弟子に初代宮薗千寿らがいる。天保(てんぽう)5年12月22日死去。名は千枝ともかく。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
宮薗千之(3世)
みやぞのせんし[さんせい]
[生]1879. 東京
[没]1946.10.3. 東京
宮薗節千之派の家元。本名片山房枝。 1901年宮薗千秀,32年3世を継ぐ。河東節では山彦秀子,荻江節では荻江ふさ。名人として知られた。
宮薗千之(2世)
みやぞのせんし[にせい]
[生]弘化2(1845).江戸
[没]1909.1.10.
宮薗節千之派の家元。本名小川さな。1世宮薗千之の孫弟子。長唄,箏曲を学び,一中節では菅野さな。 1884年2世を継ぐ。俗に「名人おさな」といわれ,明治期女流邦楽界の重鎮であった。
宮薗千之(4世)
みやぞのせんし[よんせい]
[生]1891.9.21. 長野
[没]1977.7.26. 東京
宮薗節千之派の家元。本名轟はん。3世宮薗千之の弟子。 1927年宮薗千秀となり,1953年4世を継ぐ。 1960年重要無形文化財保持者の認定を受けた。代表作『心中雪解朝』。
宮薗千之(1世)
みやぞのせんし[いっせい]
[生]?
[没]天保5(1834).12.22. 江戸
宮薗節千之派の家元。本名山城屋清八。江戸葭町の人。宮薗春太夫の弟子。宮薗節を江戸に定着させた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
宮薗千之(初代)
没年:天保5.12.22(1835.1.20)
生年:生年不詳
江戸後期の宮薗節の三味線方。千枝ともいう。江戸日本橋の陰間茶屋の主人で名は山城屋清八。春富士正伝(3代目薗八)の弟で,宮薗鸞鳳軒の弟子である春富士春太夫の門弟である。江戸に上方の宮薗節を定着させた。以後,千之の名は宮薗節千之派の家元名となった。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の宮薗千之の言及
【宮薗節】より
…その後,92年(寛政4)ころ正伝の弟の春太夫(初世鸞鳳軒の弟子)が江戸へ下り,春太夫節として知られた。春太夫は鸞鳳軒直伝の宮薗節10段を三味線方の初世宮薗千之(せんし)(?‐1834(天保5))に伝え,以後,千之の門弟によって伝承され,現在,千之派と千寿派の2派に分かれている。 このように,宮薗節は上方で発生したが,上方ではまったく絶え,江戸に伝えられた古典曲はわずかに次の10段にすぎない。…
※「宮薗千之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」