宮薗千寿(読み)ミヤゾノ センジュ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「宮薗千寿」の解説

宮薗 千寿(4代目)
ミヤゾノ センジュ


職業
宮薗節三味線方

肩書
宮薗節千寿派家元 重要無形文化財保持者(宮薗節三味線)〔昭和47年〕

本名
水野 ハツ(ミズノ ハツ)

別名
前名=宮薗 千幸(ミヤゾノ センコウ),別名=杵屋 勝弥(キネヤ カツヤ),荻江 つま(オギエ ツマ)

生年月日
明治32年 9月10日

出生地
東京市 神田区(東京都 千代田区)

経歴
明治37年4代目杵屋勝太郎に師事し、長唄修業を始める。43年芸事を続けるため柳橋芸者になる。大正6年3代目宮薗千寿(荻江ひろ)に師事し、宮薗節、荻江節を学ぶ。10年長唄で杵屋勝弥の名を許される。昭和3年宮薗節で宮薗千幸を名乗る。6年都一秀に一中節を学ぶ。10年荻江つまの名を許される。34年4代目宮薗千寿を襲名。千寿会を主宰。わずかに「鳥辺山」など10曲しか残っていなかった宮薗節を自ら6曲作曲するなど、伝承復興に努めた。47年宮薗節三味線の伝承者として人間国宝に認定される。60年2月国立劇場舞踊の“地”をつとめたのが最後の舞台だった。

所属団体
古曲会

受賞
勲五等宝冠章〔昭和48年〕

没年月日
昭和60年 9月2日 (1985年)


宮薗 千寿(3代目)
ミヤゾノ センジュ


職業
宮薗節太夫

肩書
宮薗節千寿派家元

本名
鎗田 ゆき

別名
前名=宮薗 千広,別名=山彦 広子,荻江 ひろ

生年月日
明治16年 10月25日

出身地
東京

経歴
宮薗千春の門弟。明治44年宮薗千広、昭和23年3代目千寿を襲名した。他に河東節山彦秀翁に、荻江節を荻江ひさに学んだ。淡々たる語りに滋味があり昭和初期の名人といわれた。34年病気で引退。作品に「お光」「椀久」など。

没年月日
昭和39年 7月25日 (1964年)


宮薗 千寿(2代目)
ミヤゾノ センジュ


職業
宮薗節太夫

肩書
宮薗節千寿派家元

本名
梅田 たつ

別名
別名=清元 きよ

出生地
江戸 日本橋(東京都 中央区)

経歴
江戸日本橋の両替商の娘。初代宮薗千寿の門人で、師の没後は宮薗節唯一の師匠となる。明治8年に一時廃業するが、17年2代目宮薗千之とともに再興した。宮薗千春、宮薗千歌ら名手を輩出した。40年頃没したと言われる。

没年月日
(生没年不詳)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「宮薗千寿」の解説

宮薗 千寿(4代目)
ミヤゾノ センジュ

昭和期の宮薗節三味線方 宮薗節家元。



生年
明治32(1899)年9月10日

没年
昭和60(1985)年9月2日

出生地
東京・神田

本名
水野 ハツ(ミズノ ハツ)

主な受賞名〔年〕
勲五等宝冠章〔昭和48年〕

経歴
19歳で3代宮薗千寿に弟子入り、昭和34年に4代家元に。わずかに「鳥辺山」など10曲しか残っていなかった宮薗節を自から6曲作曲するなど伝承と復興につとめた。47年、宮薗節三味線の伝承者として、国の重要無形文化財の個人指定(人間国宝)を受けた。60年2月、国立劇場で舞踊の“地”を務めたのが最後の舞台だった。


宮薗 千寿(3代目)
ミヤゾノ センジュ

明治〜昭和期の宮薗節三味線方 宮薗節千寿派家元。



生年
明治16(1883)年10月25日

没年
昭和39(1964)年7月25日

出身地
東京

本名
鎗田 ゆき

別名
前名=宮薗 千広

経歴
宮薗千春の門弟。明治44年宮薗千広、昭和23年3代目千寿を襲名した。他に河東節を山彦秀翁に、荻江節を荻江ひさに学んだ。淡々たる語りに滋味があり昭和初期の名人といわれた。34年病気で引退。作品に「お光」「椀久」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮薗千寿」の解説

宮薗千寿(3代) みやぞの-せんじゅ

1883-1964 明治-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治16年10月25日生まれ。2代千寿の門人宮薗千春にまなぶ。明治44年宮薗千広を名のり,昭和23年宮薗節千寿派の3代家元をつぐ。河東(かとう)節では山彦広子,荻江(おぎえ)節では荻江ひろを名のった。昭和39年7月25日死去。80歳。東京出身。本名は鎗田有(やりた-ゆき)。

宮薗千寿(初代) みやぞの-せんじゅ

1806-1868 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文化3年生まれ。江戸日本橋の茶屋「宇治の里」の主人清三郎の妻。初代宮薗千之(せんし)の門人で,師の没後家元をあずかった。文久元年(1861)宮薗節の古典10段を「千草種(ちぐさのたね)」として刊行。慶応4年4月死去。63歳。本名はしま。

宮薗千寿(2代) みやぞの-せんじゅ

?-? 明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
江戸日本橋の両替商の娘。新派の伊井蓉峰(ようほう)はその孫という。初代千寿の門人で,師の没後は宮薗節唯一の師匠。一時廃業したが,明治17年2代宮薗千之(せんし)とともに流儀を再興した。明治40年(1907)ごろ死去。本名は梅田たづ。

宮薗千寿(4代) みやぞの-せんじゅ

1899-1985 昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
明治32年9月10日生まれ。3代千寿の門人。昭和3年宮薗千幸を名のり,34年宮薗節千寿派の4代家元をつぐ。47年宮薗節三味線で人間国宝。昭和60年9月2日死去。85歳。東京出身。本名は水野ハツ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮薗千寿」の意味・わかりやすい解説

宮薗千寿(3世)
みやぞのせんじゅ[さんせい]

[生]1883.10.25. 東京
[没]1964.7.25. 千葉
宮薗節千寿派の家元。本名鎗田ゆき。2世宮薗千寿の弟子宮薗千春 (高橋よし) の弟子。 1909年千広となり,46年3世となる。 59年に引退。淡々たる語り方は,一世を風靡した。作曲に『椀久』『お光』がある。

宮薗千寿(4世)
みやぞのせんじゅ[よんせい]

[生]1899. 東京
[没]1985.9.2. 東京
宮薗節千寿派の家元。本名水野ハツ。3世宮薗千寿の弟子。 1928年千幸となり,1959年4世となる。 1972年重要無形文化財保持者の認定を受けた。作曲に『ほほずき』『道行歌の中山』などがある。

宮薗千寿(1世)
みやぞのせんじゅ[いっせい]

[生]文化3(1806)
[没]明治1(1868).4. 東京
宮薗節千寿派の家元。1世宮薗千之の弟子。茶漬料理屋宇治の里清三郎の妻しま。文久1 (1861) 年『宮薗千草種』を刊行。

宮薗千寿(2世)
みやぞのせんじゅ[にせい]

[生]?
[没]1907頃
宮薗節千寿派の家元。本名梅田たづ。1世宮薗千寿の弟子。初め清元を学び清元延きよを名のったが,明治4 (1871) 年頃2世を継いだ。

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朝日日本歴史人物事典 「宮薗千寿」の解説

宮薗千寿(初代)

没年:明治1.4(1868)
生年:文化3(1806)
江戸後期の宮薗節の太夫。初代宮薗千之の弟子。日本橋の茶漬茶屋宇治の里清三郎の妻で名はしま。文久1(1861)年に,古曲10段を収めた『宮薗千草種』を刊行。現在千寿の名は,宮薗節千寿派の家元名となっている。

(根岸正海)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

367日誕生日大事典 「宮薗千寿」の解説

宮薗 千寿(3代目) (みやぞの せんじゅ)

生年月日:1883年10月25日
明治時代-昭和時代の浄瑠璃太夫
1964年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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