鳥辺山(読み)トリベヤマ

デジタル大辞泉 「鳥辺山」の意味・読み・例文・類語

とりべ‐やま【鳥辺山/鳥部山】

鳥辺野とりべの異称
地歌近松門左衛門作詞、湖出金四郎作曲、岡崎検校改調とされる。宝永3年(1706)京都の都万太夫座上演されたおまん・源五兵衛道行みちゆき原拠とするが、同年夏、大坂で上演のときはお染・半九郎に改められる。
宮薗みやぞの。宮薗鸞鳳軒らんぽうけん作曲。明和3年(1766)大坂竹本座初演太平記忠臣講釈」の「道行人目の重縫かさねぬい」からとったもので、縫之助・浮橋の道行とする。宮薗節の代表的名作

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精選版 日本国語大辞典 「鳥辺山」の意味・読み・例文・類語

とりべ‐やま【鳥辺山・鳥部山】

  1. [ 一 ] 京都市東山区今熊野の地名。阿彌陀ケ峰の西側のふもとにある。古く、火葬場があり、墓地が多かった。鳥辺野
    1. [初出の実例]「よの中にうれしきものはとりべ山かくるる人をみつるなりけり」(出典:元良親王集(943頃か))
  2. [ 二 ] 地歌。お染と半九郎が鳥辺山で心中する道行をうたったもの。近松門左衛門作詞、湖出金四郎作曲、岡崎検校改調。宝永三年(一七〇六)京都の都万太夫座および大坂岩井座で歌舞伎鳥辺山心中」の道行の曲として用いられたときの歌を受け継ぐ。浄瑠璃「近頃河原達引(ちかごろかわらのたてひき)」の一場面にも用いられる。
  3. [ 三 ] 薗八(そのはち)節。明和四~五年(一七六七‐六八)頃、初世宮薗鸞鳳軒(らんぽうけん)作曲。塩谷縫之助と遊女浮橋が、鳥辺山心中の二人に仮装した道行。近松半二ほか合作の浄瑠璃「太平記忠臣講釈(たいへいきちゅうしんごうしゃく)」の五番目「道行人目重縫(みちゆきひとめのしげぬい)」を典拠としたもの。

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改訂新版 世界大百科事典 「鳥辺山」の意味・わかりやすい解説

鳥辺山 (とりべやま)

邦楽曲名。鳥辺山(鳥辺野)で心中する男女,源五兵衛・おまんを扱った俗謡が近世初期に流行したが,この2人を主人公とする浄瑠璃や歌舞伎狂言おまん源五兵衛物),あるいはこの状況を用いた歌舞伎や邦楽が作られている。

(1)地歌 近松門左衛門作詞,湖出金四郎作曲,岡崎検校(1684-1753)改調。1706年(宝永3)正月京都の都万太夫座および同年夏大坂の岩井座で上演された歌舞伎狂言《鳥辺山心中》の道行に用いられた曲を岡崎検校が地歌に移したとされる。お染半九郎の道行で名曲。(2)に大きな影響を与えた。この一節義太夫節《堀川》(《近頃河原達引(ちかごろかわらのたてひき)》)で老婆が小娘に三味線を教える場に使用している。

(2)宮薗節 明和(1764-72)初年ころ,宮薗鸞鳳軒(らんぽうけん)作曲。義太夫節《太平記忠臣講釈》(1766)の第五で石堂縫殿之助が傾城浮橋と演じる余興の道行《道行人目のしげぬい》により作曲した。全体に名文であり,とくに2人の衣装を述べるくだりと終りを二上りにした曲節は,邦楽の中でも出色の出来といえるものである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥辺山」の意味・わかりやすい解説

鳥辺山
とりべやま

地歌(じうた)および宮薗節(みやぞのぶし)の曲名。『鳥辺山心中』の原典は1706年(宝永3)正月、京都都万太夫(みやこまんだゆう)座上演のもので、このときはおまん源五兵衛の役名であったが、同年夏、大坂・岩井座でお染半九郎の役名で上演され、その道行の詞章が地歌の『鳥辺山』となった。これは近松門左衛門の加筆といわれる。一方、宮薗節のほうは初世宮薗鸞鳳軒(らんぽうけん)作曲。男女の名が浮橋縫之助(うきはしぬいのすけ)になっているのは、1766年(明和3)近松半二ほか合作の義太夫節『太平記忠臣講釈』の第五「道行人目(みちゆきひとめ)の重縫(しげぬい)」が典拠になっているためで、塩冶(えんや)判官の弟縫之助が傾城(けいせい)浮橋を溺愛(できあい)しているのを、取り巻き連中が茶屋で両人をおだてて「鳥辺山心中」に見立てた道行の場をやらせる趣向を踏襲しているためである。詞章は地歌のものを転用し、部分的に手を加えているが、宮薗を代表する名曲になっている。

[林喜代弘]

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百科事典マイペディア 「鳥辺山」の意味・わかりやすい解説

鳥辺山【とりべやま】

三味線声曲の曲名。鳥辺山を舞台にした男女の道行・心中を扱った歌舞伎《鳥辺山心中》(初演は1706年あるいはそれ以前)をもとにしたもの。1.地歌。お染と半九郎の心中道行を歌う。近松門左衛門作詞,湖出金四郎作曲,岡崎検校改調。2.宮薗節の代表曲。2世宮古路薗八作曲。直接には義太夫節《太平記忠臣講釈》の一部から移したもの。傾城(けいせい)浮橋と塩谷縫之助の道行。なお,岡本綺堂の新作歌舞伎《鳥辺山心中》(1915年)は2世市川左団次の当り芸で,名作とされている。

鳥辺山【とりべやま】

京都市東山区,東山の西腹の地名。鳥辺野とも称し,平安時代中期ころから火葬場,墓地となった。
→関連項目化野蓮台野

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「鳥辺山」の解説

鳥辺山
(別題)
とりべやま

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
鳥部山
初演
明治1.8(京都・北側芝居)

鳥辺山
(通称)
とりべやま

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
鳥辺山心中
初演
貞享2(大坂・岩井座)

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世界大百科事典(旧版)内の鳥辺山の言及

【火葬】より

…また疫病の流行や飢饉に際して,河原や荒野に遺棄された死体を念仏僧などが火葬にする風があった。この時期,京都では鳥辺山,船岡山などが民間の火葬地として知られていた。また平安時代中期以降,遺骨を寺域に移す風がおこり,三昧堂,廟堂などが建てられ,さらに火葬骨を納めた五輪塔など石造墓塔が立てられ,後世の寺墓のおこりもみられるようになった。…

【鳥辺野】より

…京都市東山区の清水寺南側にひろがる野。鳥戸(部)野とも書く。化野(あだしの)の露,鳥部山の烟といわれるように,早く平安時代初期から京都近郊に存在した葬送地の一つとして有名であった。はじめは鳥部(辺)山の麓を鳥辺野と称したが,この山は阿弥陀ヶ峰をいうらしく,かつての鳥辺野は現在の地から阿弥陀ヶ峰にかけての広い地域を称した。ここでの葬送の例は多くあり,藤原道長もここで荼毘(だび)に付されている。鳥部寺(愛宕寺)が営まれ,また少し西に珍皇(ちんこう)寺六波羅蜜寺などが建立されるのは,鳥辺野が葬送地であったからである。…

※「鳥辺山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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