富松正安(読み)とまつまさやす

改訂新版 世界大百科事典 「富松正安」の意味・わかりやすい解説

富松正安 (とまつまさやす)
生没年:1849-86(嘉永2-明治19)

自由民権家。茨城県下館士族。廃藩置県後小学校教員となり,1880年教職を辞して国会開設請願運動参加。81年10月自由党の創立にあたって入党し,やがて急進派一員となった。関東東北志士による挙兵構想。84年8月下館に壮士養成所有為館を開設して館長となり,同年9月加波山事件首領に推されて蜂起に参加。事件後一時潜伏したが,10月千葉県で逮捕され,死刑に処された。
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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「富松正安」の解説

富松 正安
トマツ マサヤス


生年月日
嘉永2年9月13日(1849年)

出生地
常陸国下館(茨城県)

経歴
茨城県内の小学校教員をつとめるうち、自由民権運動に志す。明治12年民風社を創立、13年集会条例公布以後、教職を辞し運動専念。14年自由党結成に参画、17年有為館を開き館長となる。同年加波山事件に加わり、各地潜伏の末、上総国市原郡姉ケ崎村で捕えられた。

没年月日
明治19年10月6日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「富松正安」の解説

富松正安

没年:明治19.10.5(1886)
生年:嘉永2.9.13(1849.10.28)
明治期の自由民権運動家。常陸国(茨城県)下館城下生まれ。明治14(1881)年自由党結成に参加,まもなく政府転覆をめざす急進派の立場に傾斜,17年9月加波山事件で指導的役割を果たした。19年8月大審院で死刑が確定,10月千葉県寒川監獄で処刑された。<参考文献>寺崎修「自由民権運動史上における富松正安」(『法学政治学論究』3号)

(寺崎修)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富松正安」の解説

富松正安 とまつ-まさやす

1849-1886 明治時代の自由民権運動家。
嘉永(かえい)2年9月13日生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)の人。小学校教員をやめて国会開設運動にかかわる。明治14年自由党に入党,下館(しもだて)の有為館(ゆういかん)館長として人材養成にあたる。17年政府転覆をはかり蜂起したが(加波山(かばさん)事件)捕らえられ,明治19年10月5日処刑された。38歳。

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367日誕生日大事典 「富松正安」の解説

富松 正安 (とまつ まさやす)

生年月日:1849年9月13日
明治時代の自由民権家
1886年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の富松正安の言及

【加波山事件】より

…9月に入ると,栃木県庁開庁式を襲撃する準備をすすめたが,河野,門奈茂次郎ら4名が軍資金調達のため東京神田小川町の質屋に押し入って失敗し,また鯉沼も爆弾製造中の暴発事故によって重傷を負った。このため同志は警察の追及をのがれつつ茨城県下館の壮士養成所有為館に富松正安をたよった。その間に県庁開庁式は延期され,官憲の追及が迫った。…

※「富松正安」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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