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北条経時 ほうじょうつねとき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北条経時
ほうじょうつねとき

[生]建保2(1214)
[没]寛元4(1246).閏4.1. 鎌倉
鎌倉幕府の4代執権 (在職 1242~46) 。時氏の子。母は安達景盛の娘。法名は安楽。蓮華寺と称した。仁治3 (42) 年執権。寛元1 (43) 年武蔵守。同4年執権を辞任し,出家。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北条経時 ほうじょう-つねとき

1224-1246 鎌倉時代の武将。
元仁(げんにん)元年生まれ。北条時氏(ときうじ)の長男。母は松下禅尼(ぜんに)。仁治(にんじ)3年祖父泰時(やすとき)の死で4代執権となる。寛元2年4代将軍九条頼経(よりつね)の子頼嗣(よりつぐ)を5代将軍にたて,3年妹檜皮姫(ひわだひめ)をその室とし,将軍家との関係をつよめる。4年病気により執権を弟時頼(ときより)にゆずり出家。寛元4年閏(うるう)4月1日死去。23歳。通称は弥四郎。法名は安楽。

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朝日日本歴史人物事典の解説

北条経時

没年:寛元4.閏4.1(1246.5.17)
生年:元仁1(1224)
鎌倉幕府の執権。時氏の子。母は安達景盛の娘(松下禅尼)。妻は宇都宮頼業の娘。弥四郎,左近将監,武蔵守。文暦1(1234)年3月5日将軍藤原頼経邸で元服。父が早世したため,仁治3(1242)年6月15日祖父泰時のあとを継いで4代執権に就任。時に19歳であった。執権在任中に将軍頼経は辞職し,寛元2(1244)年4月頼経の子頼嗣が6歳で将軍に就任した。4年4月19日病が重くなったので,在職期間4カ年足らずで執権を弟の時頼に譲り,出家して法名を安楽と号した。しかし出家後10日で23歳の短い生涯を終わった。<参考文献>安田元久編『鎌倉将軍執権列伝』

(瀬野精一郎)

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうじょうつねとき【北条経時】

1224‐46(元仁1‐寛元4)
鎌倉幕府の執権。時氏の子,母は安達景盛の女(松下禅尼)。幼名藻上御前。1234年(文暦1)将軍邸内にて元服,弥四郎と称す。父の夭折のため嫡嗣として祖父泰時は期待し,同年8月小侍所別当,41年(仁治2)6月評定衆と,若くして幕府要職に就く。同年11月泰時邸での酒宴のとき,泰時の勧めにより一族の金沢実時と友情の契りを交わす。42年泰時の死により執権職を継承。翌年正五位下,武蔵守となる。当時,将軍藤原頼経は鎌倉下向以来長い年月を経ており,将軍を中心とする反得宗派の動きは活発であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北条経時
ほうじょうつねとき
(1224―1246)

鎌倉幕府4代執権。父は北条時氏。母は安達景盛(あだちかげもり)の女(松下禅尼)。1241年(仁治2)評定衆。翌年6月の祖父泰時の没後に執権職に就く(連署は不在)。1244年(寛元2)4月には、将軍九条頼経を廃し、妹を新将軍頼嗣(頼経の子)の妻として将軍家と北条氏の姻戚関係を回復した。左近将監(さこんしょうげん)、武蔵守を歴任、極位は正五位下。鎌倉幕府の訴訟制度の充実に腐心し、1243年(寛元1)9月5日に、手続きの遅滞を避けるため判決文に相当する評定事書の将軍御覧を廃する(鎌倉幕府追加法213条)など、幕府裁判における執権の主導的役割を大きくした。1246年3月23日、病のため執権を辞し、弟時頼に譲る。同年4月19日出家。閏4月1日没。広く御家人の信頼を得ていた彼の死は、鎌倉幕府内部の政治的動揺を招き、宮騒動・宝治合戦の遠因となった。[上杉和彦]
『佐藤進一著『鎌倉幕府訴訟制度の研究』(1993・岩波書店)』

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