改訂新版 世界大百科事典 「北条経時」の意味・わかりやすい解説
北条経時 (ほうじょうつねとき)
生没年:1224-46(元仁1-寛元4)
鎌倉幕府の執権。時氏の子,母は安達景盛の女(松下禅尼)。幼名藻上御前。1234年(文暦1)将軍邸内にて元服,弥四郎と称す。父の夭折のため嫡嗣として祖父泰時は期待し,同年8月小侍所別当,41年(仁治2)6月評定衆と,若くして幕府要職に就く。同年11月泰時邸での酒宴のとき,泰時の勧めにより一族の金沢実時と友情の契りを交わす。42年泰時の死により執権職を継承。翌年正五位下,武蔵守となる。当時,将軍藤原頼経は鎌倉下向以来長い年月を経ており,将軍を中心とする反得宗派の動きは活発であった。経時は44年将軍を更迭,頼経の子頼嗣(6歳)を新将軍とし,翌年妹檜皮姫を頼嗣室とした。然阿良忠に帰依して蓮華寺を建立。46年4月病により執権を弟時頼に譲り出家,法名安楽。同年閏4月没す。その両息(隆政,頼助)は僧侶となり,北条氏の嫡流は時頼の子孫に移った。
執筆者:青山 幹哉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報