日本大百科全書(ニッポニカ) 「寛文模様」の意味・わかりやすい解説
寛文模様
かんぶんもよう
寛文年間(1661~73)に流行した小袖(こそで)の模様を総称していう。片方の肩から相対する裾(すそ)に向かって、絞りと刺しゅうで弧を描くように大きく模様を表し、片方を広く余白のまま残すという、きわめて大胆で、意表をついた構図に特色がある。こうした特色のある大柄の模様が寛文年間に流行した直接の原因として、次のような事件が指摘される。明暦(めいれき)3年(1657)正月、寛文8年(1668)と江戸では大火災が続き、京都においても万治2年(1659)、寛文元年(1661)と相次ぐ大火によって多くの人々が住居と衣服を失い、ことに衣料品の欠乏は想像以上のものであったようである。これを急速に補うとすれば、加工に時間と著しい労力を要する刺しゅうや精巧な絞染めで細かい模様を表していたのでは需要に応じきれない。迅速に仕上がり、しかも外観において手間をかけた従来の小袖に劣らぬ華麗な意匠効果をもつ小袖が必要とされ、ここに寛文模様のアイデアが浮かんだといわれている。しかしながら、それはあくまで表面に出た一つの動機にすぎなかった。
寛文年間以後「雛型(ひながた)本」と称される小袖の模様、加工法、配色などを記した木版のファッション・ブックが登場してくる。これは、衣装の需要層が拡大し、ことに経済的に豊かになった町人が衣装を注文するだいじな顧客となったためである。余白を大きくとり、これによって大模様を際だたせようとする寛文模様の趣向はいかにも町人的な好みである。また、花鳥風月といった伝統的なモチーフのほかに、文箱(ふばこ)、鼓胴(こどう)、冊子、額、筆、墨など、斬新(ざんしん)奇抜なモチーフをなんらためらうことなく小袖模様に取り上げているところには、台頭しつつある町人の息吹が感じられる。『新撰(しんせん)御ひいながた』は寛文7年(1667)2月に刊行された上下2巻からなる雛型本であるが、ここには55図の寛文模様が掲載されている。その序文に「今改めて往昔のもやうをば加へず」とあるから、寛文期の新しい模様ばかりが収録されているとみてよいであろう。
[村元雄]