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将棋所 ショウギドコロ

百科事典マイペディアの解説

将棋所【しょうぎどころ】

幕府の役職。御城将棋を務め,棋界の運営に当たった。1662年より寺社奉行の配下。当初,碁所(ごどころ)の司(つかさ)本因坊算砂が将棋所の司を兼任。後大橋宗桂が継ぎ,さらに大橋本家・大橋分家(宗桂の次男宗与が祖)・伊藤家(宗桂の高弟伊藤宗看が祖)の家元三家から選ばれた名人が就任。
→関連項目将棋

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大辞林 第三版の解説

しょうぎどころ【将棋所】

近世、将棋の名人の別名。将棋の指南・免状の発行権などの特権をもつ。初代大橋宗桂以下、大橋・大橋分家・伊藤の三家から出た。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

将棋所
しょうぎどころ

御城将棋」のページをご覧ください。

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世界大百科事典内の将棋所の言及

【大橋宗桂】より

…将棋が上手であったために織田信長,豊臣秀頼,徳川家康,徳川秀忠に遊興の奉仕として召し出され,本因坊算砂らと将棋を指して巧芸を披露した。江戸幕府成立後,将棋指衆として召し抱えられ,碁所より分岐した将棋所の司として初代名人になり,50石五人扶持の俸禄を与えられた。これは将棋が市井の遊芸から幕府公認の技芸として認められ,民間の将棋指しが幕臣に加えられたことを意味し,将棋史上画期的なできごとであった。…

【将棋】より


[江戸時代の将棋]
 戦国時代の武将であった織田信長,徳川家康,豊臣秀頼らは,当時の将棋の上手(じようず)であった本因坊算砂大橋宗桂らを召し出して指させるなど将棋への関心が高かった。徳川幕府が成立した直後に算砂や宗桂は囲碁,将棋の芸人として召しかかえられて,この部門は碁将棋所(ごしようぎどころ)とよばれた。算砂がその司に任ぜられたが,1612年(慶長17)に算砂,宗桂に家禄50石が支給された。…

※「将棋所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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