将棋所(読み)ショウギドコロ

デジタル大辞泉 「将棋所」の意味・読み・例文・類語

しょうぎ‐どころ〔シヤウギ‐〕【将棋所】

江戸時代碁所ごどころと並び、将棋をもって幕府に仕えた家柄。大橋本家・同分家伊藤家三家世襲

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精選版 日本国語大辞典 「将棋所」の意味・読み・例文・類語

しょうぎ‐どころシャウギ‥【将棋所】

  1. 〘 名詞 〙 江戸幕府の職制の一つ。将棋を以て仕える。また、江戸時代の名人別称。慶長一七年(一六一二大橋宗桂は幕府より祿を賜わり、のち、本因坊算砂から将棋所を譲られて一世名人となる。のちに、将棋家の世襲制が定まり、将棋所は将棋三家の者が世襲することとなった。天保期(一八三〇‐四四)に、一〇世名人伊藤宗看が死んだあと、将棋所は空位のまま明治を迎えて自然消滅した。しょうぎしょ。〔宝永三年武鑑(1706)(古事類苑・遊戯三)〕
    1. [初出の実例]「魚売の子胤名高き儒者となり、菓子屋の子胤、将棊所(シャウギドコロ)になりたるもあり」(出典:滑稽本・指面草(1786)小)

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百科事典マイペディア 「将棋所」の意味・わかりやすい解説

将棋所【しょうぎどころ】

幕府の役職。御城将棋を務め,棋界の運営に当たった。1662年より寺社奉行配下。当初,碁所(ごどころ)の司(つかさ)本因坊算砂が将棋所の司を兼任。後大橋宗桂継ぎ,さらに大橋本家・大橋分家(宗桂の次男宗与が祖)・伊藤家(宗桂の高弟伊藤宗看が祖)の家元三家から選ばれた名人が就任。初世大橋宗桂,2世大橋宗古,3世伊藤宗看,4世大橋宗桂,5世伊藤宗印,6世大橋(分家)宗与,7世伊藤宗看,8世大橋宗桂,9世大橋(分家)宗英,10世伊藤宗看。
→関連項目将棋

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「将棋所」の意味・わかりやすい解説

将棋所
しょうぎどころ

御城将棋」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の将棋所の言及

【大橋宗桂】より

…将棋が上手であったために織田信長,豊臣秀頼,徳川家康,徳川秀忠に遊興の奉仕として召し出され,本因坊算砂らと将棋を指して巧芸を披露した。江戸幕府成立後,将棋指衆として召し抱えられ,碁所より分岐した将棋所の司として初代名人になり,50石五人扶持の俸禄を与えられた。これは将棋が市井の遊芸から幕府公認の技芸として認められ,民間の将棋指しが幕臣に加えられたことを意味し,将棋史上画期的なできごとであった。…

【将棋】より


[江戸時代の将棋]
 戦国時代の武将であった織田信長,徳川家康,豊臣秀頼らは,当時の将棋の上手(じようず)であった本因坊算砂大橋宗桂らを召し出して指させるなど将棋への関心が高かった。徳川幕府が成立した直後に算砂や宗桂は囲碁,将棋の芸人として召しかかえられて,この部門は碁将棋所(ごしようぎどころ)とよばれた。算砂がその司に任ぜられたが,1612年(慶長17)に算砂,宗桂に家禄50石が支給された。…

※「将棋所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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